人生で初めて油絵を見た記憶を覚えていますか?
なかなか美術館に行かない人は、覚えていないかもしれませんね。
皆、モネやルノワール、ゴッホ、ピカソ、マチスというのが一般的ですが、僕は違いました。
僕の場合は、美術史上最も成功した肖像画家の一人である、アンソニー・ヴァン・ダイクでした。
「ヴァン・ダイク展」で本物の油絵に衝撃を受ける
あれは僕が18歳のころ友達と二人で、たまたま百貨店のアート館で開催されていたある展覧会に興味をひかれたのがきっかけでした。
このころ僕たちは、絵に興味を持ち始めたときで、まだ何も知らないただの学生でした。
展覧会は「17世紀フランドルの巨匠ヴァン・ダイク展」と大きく書かれていましたが、僕も友達もその画家を全く知らなかったのです。
友達と暇だし勉強になるかも知れないから、「一度本物の西洋絵画を見てみよう!」となりました。
チケットを購入して入場したとたん、女性の肖像画や神話画などが展示されていたのです。
あまりにもリアルなうえに、とても優美で美しい作品に僕は心を奪われたのでした。

キャンバスに描かれた貴族の女性は、今でも生きているかのようにリアルで僕の方を見ている・・・
なんだかすごく不思議なきぶんで、まるで自分がタイムスリップしたような感覚になったのです。
その後も、この体験がしたくて美術館によく足を運びましたが、他の絵ではなかなかこのような体験はできませんでした。
やはり、ヴァン・ダイクの絵の人物の目がリアルで、生々しいことがそのような錯覚になるのでしょう。
洗練された肖像画家 「アンソニー・ヴァン・ダイク」
アンソニー・ヴァン・ダイクは、美術史上最も成功した肖像画家の一人です。
彼が描き出した数多くの作品イギリス国王チャールズ1世の宮廷の華麗なイメージは、同時代の画家たちに計り知れないほど影響を及ぼしただけでなく、以後200年にわたるイギリス肖像画の方向を決定しました。
ヴァン・ダイクは驚くほど早熟で、ルーベンスの影響(アントワープ時代にルーベンスの助手をつとめたことがある)を強く受けましたが、本質的には独学で大成した画家です。
1621年にイタリアに行き、ジェノヴァの貴族の肖像画を描いて名をはせ、6年後にアントワープに戻ると絵の注文が殺到したそうです。
イザベラ大公婦人の宮廷画家に任命され、1632年にチャールズ1世によってイギリスに招かれ国王の首席宮廷画家に任命されました。
このように成功はしたのですが、ヴァン・ダイクはフランドル最高の歴史画家になる希望を実現することはできなかったのでした。

(チャールズ1世の三面像)
ヴァン・ダイクから洗礼を受ける
僕たちが見る現代の写実絵画はリアルに見えます。
でも、近くで見ると写真を張りつけたような平板感じなのです。
僕が見たヴァン・ダイクの絵は、まるで今目の前にいるかと思えるくらい存在感があってとても驚きました。

今まで見てきたのは何だったのかと思うほど迫力があって、バックなどの風景や岩や木などは軽く全体的に素晴らしいタッチで表現していたのです。
全体の印象はルーベンスの絵に比べるとシックで引き締まった印象で、線と色面を意識して人物が前面に近寄って見える工夫されています。
衣服の表現や色彩は圧倒的に美しく人物の肌の色と一体化しています。
描きこまれているのは、顔の表情や優美な手の表現、特に目はまるで生きているような生々しい美しさがありました。
そして2メートルを超える作品のスケールの大きさに圧倒されて、油絵でここまでできるのか・・・・
と、溜息が出るほど素晴らしい肖像画の前から、なぜかぼくは動けなかったのです。

巧妙な演出と多少の美化
ヴァン・ダイクの絵は、無駄なことは何一つされていませんでした。
肖像画家としてヴァン・ダイクが成した一因は、モデルの最も良いところを引き出す能力にあり、各人を描き分ける鋭い目を持っていたというところです。
どんなモデルでも多少は実物以上の描いて、すらっとした姿、エレガントな手、気品と威厳のある動きを加えました。
そして最も理想化された肖像画が、女性をモデルにしたものであることは言うまでもありません。
ただし、モデルになった女性たちがいつも、作品に満足していたとはいえなかったようです。

当時の考えとしては、写真などなかった時代ですので死んだ後の自分の姿を、子孫たちに残すということを考えていたわけです。
自分の子孫たちが、ご先祖を見るときのことを考えると、美しさと威厳が必要でした。
少し時代をさかのぼりますが、ミケランジェロもジュリアーのメディチの彫刻を作った時、周りの人が「実物の姿と違うと」批判した人がいました。
それに対してミケランジェロの答えは「何百年の後に我々の中で生き残っている人は一人もいない。 誰もその人のことを知らないし、気にする人はいない。残るのは作品だけだ!」と答えたのです。
この逸話を見ればわかるように、今でいう整形手術を絵や彫像の中で部分的に取り入れていたようなものでした。

芸術は長し人生は短し
最晩年のヴァン・ダイクに、失意がないわけではなかったようです。
肖像画家として才能を発揮しながらも、ルーベンスのような歴史画家としての成功への野心も持っていたし、チャールズ1世からの大規模な注文を受けることを望んでいました。
1639年、グリニッジ王妃の寝室を装飾するための一連のカンヴァス画を制作する計画が持ち上がりましたが、この仕事はルーベンスの弟子だったヤコーブ・ヨルダーンスに依頼されてしまいます。
1641年1月にヴァン・ダイクはパリを訪れました。
ルイ13世がルーブル宮殿の中央ギャラリーの装飾を計画しており、この注文を受けることを望んだからです。
しかしこの時もうまくいかず、5月までにロンドンに戻るっています。
その後、1641年12月9日絶え間ない仕事の疲労が、虚弱な彼の体をむしばんでいた病のため帰らぬ人となりました。
享年42歳。あまりにも早い死でした。

貴族のイメージを確立
ヴァン・ダイクは歴史を通じて、イギリス肖像画の革命をもたらしました。
彼が生前作り上げたチャールズ1世のイメージは、それ以来「公式」のイメージとなり、その肖像画のスタイルの影響を受けない者はいなかったのです。
後のピーター・レリーが後を受け継ぎ、ゲインズバラとレノルズによって集大成されるイギリス肖像画の基礎は、ヴァン・ダイクによって築かれました。

(ピーター・レリー)

(ゲインズバラ)

(レノルズ)
ゲインズバラとレノルズはヴァン・ダイクほどの腕は持っていなかったと僕は思います。
このイギリスを代表する二人の画家は、人物より周りの風景や衣服の装飾に力を入れているように見えます。
後の画家たちは表面的にスタイルを模倣していますが、肝心の人物の描きこみの中でヴァン・ダイクのようにモデルの性格まで描き切ることができなかったようです。

(16歳のヴァン・ダイク自画像)
このようにヴァン・ダイクは、現代の僕たちに油絵の素晴らしさを教えてくれました。
このヴァン・ダイク展は僕が見てきた展覧会の中で、今でも最高に印象深く心に残っています。
まとめ
今でもアンソニー・ヴァン・ダイクは僕の中で、憧れの画家の一人です。
写真では写らない美しさは、名画の証です。
いい絵ほど映りが悪い。
彼の筆さばきは、優美で力強く、また繊細でもあります。
スペインのベラスケスと同じ時代に活躍していましたが、圧倒的にヴァン・ダイクの方が有名でした。
ベラスケスはヴァン・ダイクのような仕事にはまったく興味がなかったのでしょう。
最近の展覧会でも、ヴァン・ダイクの作品を見る機会がありましたが、やはりその存在感は絵具の強弱と人物の存在感、そして生きているかのような眼差しにあるように感じました。
他の画家たちをはるかに圧倒するその画力は、現代の絵画とはまったく違う領域にあるといえます。
・ゴーギャン 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」