僕がルーブル美術館で見た、忘れられない風景画にカミーユコローの「モントフォンティーヌの思い出」があります。
この絵についの情報はなく、僕はこの作品を見たときはとても感動したのを今も忘れません。
自分の好きなお目当ての風景画は、ロイスダール、クロードロランでした。
ルーブルでコローの、この作品「モントフォンティーヌの思い出」で、僕の風景画のイメージがらりと変わったのを覚えています。
ロイスダールの絵の具のもっちりした感じがすきでしたが、コローの軽い今にも霧に消えてしまいそうな画面は独特のものでした。
詩的風景画家の抒情
風景画と聞くと、あなたはどんな作品を思い浮かべるでしょうか?
カナレット、ロイスダール、ターナー、モネ、ゴッホ、ユトリロ・・・
僕はカミーユ・コローを想起します。
はじめてコローの絵を見たのは、ルーブル美術館にあったこの「モントフォンティーヌの思い出」でした。
赤いバラ色スカートの少女が、幼い子供たちにねだられて小花を摘んでいるのでしょうか?
木の根元にはもう一人の少女が管理するかごがあって、色とりどりの花が盛られています。
木影の木洩れ日のさまざまな純色の花がきらめいて永遠に時が止まったような詩的な風景画。
誰にでもある子供のころの思い出・・・
ジャポニズムの影響
コローは水辺を背景にシルエットで浮かぶ木立を描く流麗な筆さばきは、自然観察からあみだしたコローの技巧の冴えを余すところなく見せています。
右下から左上へと上がる感覚的な筆使いは習字を思わせ、19世紀半ば以後万国博覧会で人気が高まったジャポニズム影響かもしれません。
日本の水墨花鳥図や山水画の構図や筆使いなど、コローにヒントを与えた可能性が確かにあります。
掛軸のような永細いキャンバスにも描いています。
コローが「思い出」を描くとき
国家買い上げとなった「モントフォンティーヌの思い出」はフォンテーヌブロー城内に長く飾られていたので、人々のうわさになり今では風景画家コローの代表作とされています。
詩人が詩を書くごとくコローは絵筆でうたいあげるように、一日4時間ずつ18回も写生を繰り返すほど、描く対象を実地に見つめる姿勢をくずすことがなかったようです。
でも題名に「思い出」とつけるとき、それは誠実な写生の成果から生まれた作品ではなく、抽象的な気持ちを画面に込めようとしました。
コローの作品は当時のフランスを実地に見ることのかなわない現代の鑑賞者にすら、甘く懐かしいノスタルジーを感じさせる奇跡に近い表現力で描かれています。
自然を愛した画家
冬はパリのアトリエでサロンの出品作を制作し、気候が良くなると各地を巡って写生旅行という勤勉な風景画家生活を死の数か月前まで続けていました。
彼の陽気な人柄と美しい作品を愛した親戚と友人たちは、数日あるいは数週間宿を貸してくれたようです。
幾度も足を運び自分の庭のように親しんでいた、そのような場所への思いを「思い出」と作品にこめているのでしょう。
「ミューズは森の中にいる」と語るコローは、川にたれこめた木々、果物摘みの農婦、羊飼いの少年などに「ミューズ」の化身を見たのではないでしょうか。
「思い出」はいつの時代のどこの人や木でもなく、画家コローの愛した自然を象徴するものとして、永遠に消えることのない懐かしく美しい思いを描いた絵だったのです。
まとめ
カミーユ・コローは日本でも人気の高い画家です。
僕はよく、バルビゾン派の展覧会を見る機会がありました。
そこには、コローの作品も展示されていて、ミレーと共に僕のお気に入りの画家になっていました。
ところが、後に調べてみると、コローの言葉から意外なことが書かれています。
コローは、自分ではバルビゾン派ではないと言って、バルビゾン派展の展覧会の誘いをすべて断っていたのです。
彼は、自分では、伝統的なアカデミーの画家という意志を持っていたようです。
今は、無理やりバルビゾン派に参加させられているわけですね。
・人物画を得意とした巨匠たち(ティッティアーノ、ベラスケス、グルーズ、ルブラン)