歴史上最高の名画といわれている「モナ・リザ」。
ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やミケランジェロの「システィーナ礼拝堂」と並び、最高の名画とされてきた天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた女性「モナ・リザ」ですが。。
このレオナルドの名画には謎が多く隠されています。
「モナ・リザ」は誰を描いたのか?
そして、その微笑みの意味はとは?
「モナ・リザ」は神秘的で美しい完璧な名画ですが、その女性の微笑みのなかにレオナルドが残した謎には、多くの説があります。
古代から現代までの研究と資料を参考に、僕の解釈でその謎に迫ります。
モナ・リザとは?
ラファエロが見た2人の夫人(モナ・リザ)
ラファエロはモナ・リザの秘密を知っている一人です。
彼は若い頃からレオナルドを尊敬して、彼に何度も会いに行っています。
ジョコンド夫人を描いた「モナ・リザ」を彼はすぐにスケッチしている。
この肖像画を見ると、現在の「モナ・リザ」とはだいぶ印象が違います。
そしてレオナルドが描いた「ミラノ王妃の肖像画」もラファエロは描いています。
彼は他、バチカンにも有力な史料を残している。
依頼者のジョコンド
ジョルジョ・ヴァザーリによると、「モナ・リザ」のモデルはフランチェスコ・デル・ジョコンドの夫人。
1503年に彼女は24歳のときモデルとして、レオナルドの前に座ったとされています。
記述には彼女は次男を出産したばかりだと書かれている。
そのため、少し手や顔がむくんでいるのでしょうか。
現在の「モナ・リザ」は4層目の絵
「リザ・デル・ジョコンド」は一度完成していた
ジョコンドを描いた1層目に描いた「モナ・リザ」は一度完成させている。
今の姿より若く、赤い色が入った衣服を着ています。
髪型なども20代の女性のスタイルで描かれていて、現在の中年女性ではありません。
服装や背景も少し違います。
X線写真で見ると、ラファエロが模写したスケッチとよく似ています。
間違いなく、レオナルドはジョコンド夫人を一度仕上げていました。
最近の研究結果では・・・
最近の研究では、さらに驚くことにモナ・リザの下に、3枚の人物が描かれていたことも判明しています。
今の「モナ・リザ」は4層目だと、研究者は発表しています。
その経過についての資料はまだ公開されていませんが、X線写真の技術次第では、さらなる情報を発表するかもしれません。
もしかすると、裸のモナ・リザがそのうちの一つに描かれていた可能性も(少し)あります。
モナ・リザの頭より一回り大きく描かれています。
フランスにある「裸のモナ・リザ」の木炭スケッチが、レオナルドが描いたものだと最近のフランスの研究者が発表しています。
ですが、現存する油彩で描かれている「裸のモナ・リザ」は、弟子が描いた模写です。
弟子たちの絵のほとんどは、レオナルドのコピーを少しアレンジしたものが多い。
ですが、レオナルドが描いた裸のモナ・リザは現在まだ見つかっていません。
もう一つ描かれているのは、聖母マリアをテーマに描いた「モナ・リザ」です。
X線写真には、聖母マリアにだけ描かれる髪飾りと、ヘアピンを描いた後があります。
「モナ・リザ」は聖母マリアとして描いたのでしょうか。
モナ・リザの衣服
ルネサンス期の衣服
イタリアルネサンスの肖像画を見ると、モデルは美しい色の衣装を着ています。
派手な衣装に多くの飾りを身に着けて描かれている男女の肖像画は美しく、華麗で高貴な印象を与えている。
その時代の衣裳や装飾などにもこだわっていたイタリアの職人の創造性と、ルネサンス時代の流行を見ることができるし、どこの出身なのかもわかるようです。
また、衣裳でどの国の階級の人なのか見分けることにもなるのです。
黒い衣装の肖像画は珍しい
華やかな時代の肖像画のなかで、モナ・リザが着ている衣服は黒と少しの赤色だけと信じられない暗さです。
イタリア北部のヴェネツィアなどでは、黒い衣服を好んで着ていますが、それでも女性はあまり着ない色でした。
イタリアの研究者は、モナ・リザのこの黒の衣裳は、「喪服」だと推測しています。
(ラファエロが描いた作品は、ラファエロが見た最初のリザ・ジョコンドからヒントを得て制作されています)
ですが、「モナ・リザ」は修復されていませんので確かな色を判別するのは難しい。
修復すると緑色の衣服になる可能性もあります。
どちらにしても黒を基調にした衣装や、肩にかかったベールなどで「ミラノの王族の衣装」だと推測できます。
黒いブーケは妊婦の証、肩にかかっているベールは女神の証でもあります。
モナ・リザは誰なのか
「モナ・リザ」をレオナルドはなぜ引き渡さなかったのか?
レオナルドがなぜ、ジョコンド夫人を描いた肖像画を、依頼主に引き渡さなかったのでしょうか?
この時代イタリアでのレオナルドの評判はよくありませんでした。
約束の期限を守らない画家という悪い評判が、イタリア全土に広がっていたのです。
天才ではあるものの、教会や依頼主からすると約束を守らない画家には、依頼したくないのは当然でした。
ですが、「最後の晩餐」の素晴らし出来栄えと、評判を聞きつけたフィレンツェ政府は、レオナルドに壁画「アンギアーリの戦い」依頼をします。
大壁画「アンギアーリの戦い」と並行して、レオナルドは「モナ・リザ」も同時に描いていたようです。
ジョコンド婦人の肖像画がなぜ、引き渡されなかったのかは不明です。
ラファエロが感動してスケッチを残すほどの、素晴らしい出来栄えだったのは事実のはず!
でも、レオナルドはこの絵の上に新たな加筆を施していくのでした。
レオナルドには愛する女性がいた
レオナルドには人生に空白の5年間があり、研究者たちのあいだではその5年間を「謎の5年間」とされてきました。
最近その「空白の5年間」は、レオナルドの幸せな時間であったことが判明したのです。
実は、レオナルドはミラノ王(ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ)の妻だった未亡人の女性と、密かに暮らしていたのです。
レオナルドはミラノで、幽閉されていた前王妃と1495年に極秘結婚していました。
そのお相手のミラノ王妃は、ナポリのアラゴン王家出身のイザベラ・ディ・アラゴン(ダラゴーナ)です。
(この聖母はミラノ時代の弟子が描いたレオナルドの模写ですが、イザベラ・ディ・アラゴン(ダラゴーナ)がモデルだとされています)
現在の「モナ・リザ」はこの女性を描いたのではないかと思われます。
パオロ・ロマッツォが書いた「絵画芸術論」(1538~1600年)に「モナ・リザ」のモデルを、「あるナポリの女」と紹介しています。
この情報の女性が一番有力です。
それは、ラファエロも彼女の肖像画を描いているからです。
しかも、ラファエロが描いたイザベラの肖像画の顔は「モナ・リザ」とよく似ているのです!
その女性との間には5人の子供がおり、ラファエロがその5人の子供たちを天使のモデルに描いています。
レオナルドが同性愛者であるというのは、王の未亡人との隠れた禁断の愛を隠すためだったと思われます。
当時、平民と王族の恋愛は認められていませんでした。
しかも王族の未亡人結婚したとなると、レオナルドは死刑になってしまいます。
そのためのカモフラージュとして、同性愛者という噂を流していた可能性がある。
もしかすると、4層目に描かれたのはこの王族の女性を描いているかもしれない。
彼女と初めて出逢ったきっかけが、彼女の肖像画を描いたときだからです。
レオナルドは、生涯でただ一人愛した女性を、「モナ・リザ」として描いたのでしょうか??
レオナルドの母カテリーナ
レオナルドは幼い時、母と別れて祖父母に育てられました。
レオナルドがミラノに滞在していて、宮廷で活躍していたころ、母カテリーナは何度もレオナルドに会いに来ています。
レオナルドがミラノに母を呼びよせ、2人は何十年ぶりにミラノで再会したと記述がある。
年老いて貧しいカテリーナは、レオナルドに会いに来るたびにお金をもらっていました。
母カテリーナを思うレオナルドは、持っているお金を毎回手渡し、その記録をノートに残しています。
レオナルドがミラノのに滞在中に、カテリーナは世を去っています。
手稿にはレオナルドの手で、葬儀を執り行ったと記録されている。
「モナ・リザ」の輪郭や骨格がレオナルドの自画像に似ているのは、母カテリーナをモデルにしている可能性も高い。
やっと再会した母の面影を、記憶をもとに描いたのかもしれません。
鏡に映る自分の顔と、記憶に残る母の肖像を重ねて「モナ・リザ」に描き足している可能性もあります。
他にも描かれた可能性がある人物
・フランカウィラ侯爵夫人コンスタンツァ・タヴァロス
・マントヴァ侯妃イザベラ・デステ
・教皇レオ10世のジュリアーノ・メディチの愛人 パシフィカ・ブランディーノ
・ミラノ王女カテリーナ・スフォルツァ
と描かれていたかもしれない4人の女性。
そして、今まで出てきた
・レオナルドの母カテリーナ
・リザ・デル・ジョコンド
・イザベラ・ディ・アラゴン(ダラゴーナ)
この三人を合わせた7人中2~4人がモデルだと考えられています。
モナ・リザの正体
聖母マリア説
今までの多くの学者たちは、モナ・リザを「聖母マリア説」について論争していました。
黒い衣服は、キリストを亡くしたため喪服で表現しているという推測です。
確かに、キリストを亡くした母と考えることもできます。
X線写真には、聖母マリアの髪飾りが描かれた痕も確認できています。
レオナルドがリザ・ジョコンドの美しさに魅了され、理想的な聖母マリアを描いたことは間違いありません。
ですが微笑みの意味と少しずれているようにも感じます。
マリアを描いた時は、服装も違っていたはずなのでまた違ったイメージだったのでしょう。
妊婦としてのマリアだった可能性があります。
マグダラのマリア説
「映画ダ・ヴィンチコード」ではマグダラのマリアと、キリストの子孫の謎がテーマになっていました。
この説は、賛否両論がありますが、モナ・リザには当てはまります。
キリストを亡くした「妻のマグダラのマリア」が喪服を着ている。
そして、その微笑みの謎もここでは明らかになります。
聖書には書かれていませんが、最近発見された古代最古の聖書のパピルスが発見され、そこには「キリストが結婚していた」と書いています。
その妻マリアはヨハネと聖母マリアの親戚たちと共に、現在の南フランスに船で渡ったとされています。
そしてその時マグダラのマリアはキリストの子を身ごもっていて、フランスの村で出産しているというのです。
実はモナ・リザは、妊娠しているという研究者も昔からいました。
手や顔などがむくんでいるからです。
モナ・リザは妊娠しているのでしょうか・・・?
リザ・ジョコンダは、出産後に肖像画のモデルをしたと書かれていましたが。
この説は、深読みのように感じますが、それは「マグダラのマリアのみ知る秘密」の微笑みとも感じることもできます。
キリストの子を身ごもったマグダラのマリアの真実なのかもしれません。
微笑みの謎
キリストの謎を知っていたレオナルド一家
ある研究者はレオナルドの家族が、「シオン修道院」または「テンプル騎士団」のような、「古代の秘密結社」に関係していたといいます。
1500年の間、古代からこのような、秘密の集団、カトリック教会を反対する教団が数多くありました。
ですが、ほとんど全て弾圧されて、滅ぼされています。
「アルメルティ」や「フリー・メイソン」などもその分派の生き残りです。
レオナルドには、腹違いの兄弟が17人いました。
兄弟が多いのは、レオナルドの父が4回結婚していたからです。
父親は公証人でしたが、地位の高い貴族とや王族と関係を持っていたので、父親はミラノ公にレオナルドを紹介しています。
レオナルドの父と兄弟が、そのような組織に関わっていたのなら、レオナルドもその秘密を知っていたことになります。
確かに、レオナルドはカトリック教会をよく思っていなかったようです。
レオナルドは、教会の教えに疑問を持った最初の画家でもあります。
彼は、当時タブーとされていた、人体解剖を密かに行っていたことで、「悪魔の使い」という噂まで流れていました。
聖母マリアを崇拝していたレオナルド
レオナルドが崇拝していたのは、聖母マリアでした。
幼いころ、母と生き別れたことで、聖母マリアを母のように崇めて育ったようです。
確かに、レオナルドが描いた「岩窟の聖母」や「聖アンナと聖母子」などマリアが主人公のように描かれています。
「岩窟の聖母」は二枚あり、二枚目はさらに聖母を大きく描いている。
構図でも、聖母マリアと洗礼者ヨハネが上段に配置され、キリストと天使が下段に配置されています。
このの構図は珍しい構図です。
上座に聖母、下座にキリスト。
どう考えてもキリストより、マリアとヨハネを崇拝していると考えられる構図です。
構図は回転構図になるよう、うまく描かれています。
マリアからヨハネ、そしてキリスト、天使に見る者を誘導するかのように・・・
モナ・リザは母カテリーナか?それともレオナルドか?
レオナルドは、聖母マリアを描いていたようですが、月日が経つにつれ母の面影を描き足したのかもしれません。
モナ・リザの顔の骨格は、母カテリーナの骨格に近いと思われる。
レオナルドの骨格と、モナ・リザの骨格がよく似ていることも関係してきます。
レオナルドの美学は、古代ギリシャの両性美が基本であり、彼の理想美でした。
男女のを混ぜ合わせた美しさは、レオナルドにとって神に近い存在と考えられていたのです。
「モナ・リザ」の微笑みは「レオナルドの愛の秘密」
レオナルドの人生で、唯一幸せだった時期は空白の5年でした。
つまり、レオナルドが人としての幸せな時をすごせた時期だったはずなのです。
愛する女性と子供たちと過ごした夢のような時間は、年老いたレオナルドの忘れられない思い出だったに違いありません。
そのため、レオナルドは「モナ・リザ」に愛するイザベラの面影を描いたと思います。
そして、レオナルドが生涯たった一度だけ愛した女性を、忘れることができなかったはずです。
5年の間イザベラは5人の子供を産んでいますから、妊娠していたことにも当てはまります。
モナ・リザ頭の黒いブーケは、妊婦であるという意味です。
(レオナルドが描いたモナ・リザのデッサン)
また、「モナ・リザ」はイザベラとレオナルドを一つにして描いたのかもしれない。
両性美を最高の美と考えていたレオナルドならではの作品で、その愛の秘密を知る2人の微笑みなのかもしれません。
1525年にレオナルドが死亡する際に、遺言状に「ラ・ジョコンド」を弟子のサライに譲ると記されています。
画題が「モナ・リザ」ではなくて「ラ・ジョコンド」と書かれています。
ジョコンド=ジョコンダーレ=喜ばせる、陽気な、「La Gioconda」はモデルの姓と同じく、「幸せな人」を意味します。
そして、モナ・リザの手の部分の布の色彩ですが、赤く見えるこの色彩は本当はオーカー色で「リオナード」という色彩です。
レオナルドは自分の名前と似た色で、自分のサインとして「リオナード」を使ったのです。
これは、「モナ・リザ」は自分の大切な人で、レオナルドのものだというサインととれるのです。
モナ・リザは未完成??
モナ・リザの未完成と思われる部分
モナ・リザはもう一枚あるはずです。
(現在「モナ・リザの模写」は世界に61点あるようです)
それはイザベラを初めて描いた肖像画です。
レオナルドは、3ヶ月で、このイザベラを描いたとされています。
(その作品は今も行方不明なので、もしかするとモナ・リザの1層目に描かれているかもしれない)
現在のモナ・リザは、4層目にもう一度描いたものなので、後に描かれた作品です。
この「モナ・リザ」は、研究で未完成だと思われています。
手の部分が未完成で描き込まれていない。
また、完成していたなら、瞳に光を入れるはずです。
ですがモナ・リザには瞳にハイライトが入っていません。
これは、レオナルドがわざとそうしたのかもしれませんが。
入れない方が、深みがあり、不思議な謎めいた感じになると考えたのでしょうか。
とにかく、死の手前までレオナルドは、筆を入れていたといわれています。
未来の修復に期待したい
モナ・リザは過去に何度か修復されているようです。
盗難にもあい、両端を切断されています。
両端には柱が描き込まれていました。
過去の修復も雑なもので、レオナルドが描いた部分を消してしまっているのです。
例えば眉毛は、繊細な筆使いで描かれていたのですが、ナポレオン時代の修復時に誤ってふき取ってしまっています。
このようなこともあり、違う箇所も消えているものがあるかもしれません。
現在のモナ・リザは軽く修復されているだけです。
今の技術ではまだニスを全て取るのは難しいと考えれれています。
本当は明るいバックの青が美しい絵画です。
現在の黄ばんで暗いのはニスの汚れです。
修復できる時代が来たら、是非レオナルドの本当の色彩の「モナ・リザ」を見てみたいものですね。
まとめ
いろんな仮説がありますが、僕としてはラファエロの資料が有力だと思います。
ヴァザーリが書いている伝記には、フィレンツェのジョコンド夫人の記述のことだけ書かれている。
ラファエロは、レオナルドに何度も会った人なので、絵やレオナルドに対するいろんなことを知っていたはずです。
その中で、イザベラの肖像画や子供たちを描いていることは、レオナルドの5年間の秘密を知っていたことになります。
男性の気持ちを考えると、生涯に1度だけ愛した女性を忘れることは難しく、レオナルドが生涯手元からはなさなかった理由にもなります。
間違いなくレオナルドの妻となったイザベラが、現在の「モナ・リザ」なのです。
死ぬまでその秘密を隠してきたレオナルドは、その2人の秘密を微笑みのなかに隠したのです。
そして、「ラ・ジョコンド」とジョコンド夫人に名をかぶせた画題をつけている。
そうです、「モナ・リザ」はレオナルドを「喜ばせる」「幸せな人」イザベラへの愛を描いたと思います。
万物のすべての秘密を知リつくしたレオナルドの微笑みなのかもしれません。