絵画の歴史と人物画

「現代の人物画」は私たちの日常と家族や友人などの、身近な人を描くのが一般的です。

古代エジプト、ギリシャでは、神を表現するために人を描いたのが人物画の始まりだったという。

そして王の肖像や貴族などの位が高い権力者や国の統治者を描くのが決まりであり、

肖像画は昔の国と国とのお見合い用に描かれたり、家の子孫たちのために自分の肖像画を残すことが重要と考えられていました。

17世紀以後には一般庶民の生活が描かれるに従い人物画のジャンルも増え始め、

19世紀には型にとらわれない自由な発想で人物を描くようになっていきます・・・。

ここでは、人物画の変化の歴史と、13人の画家の時代背景による表現の違いを

歴史別で紹介していきます。

 

 

アントニオ・ポライウォーロ「アポロンとダフネ」

ダフネはアポロンから逃れようと、今まさに月下樹に変身しようとする。

珠玉のような優美さで描かれた小品。

神話に取材したこのサイズの作品は、ルネサンス期フィレンツェで箪笥や戸棚の装飾によく用いられたが、この作品が実際に家具にはめこまれたことがあるか否かは定かではない。

ポライウォーロ兄弟(弟はピエロ)は画家、彫刻家、金工師としてフィレンツェで盛名を馳せ、

市や教会、メディチ家などの名門から多くの注文を受けた。

アントニオは彫版画も手がけ、人体の姿勢を様々に描きわけた「裸体の男たちの格闘」はとくに名高い。

人体の構造に深い関心を抱いたアントニオは、体内の仕組みや働きを調べるため、人体解剖を試みた最初の画家のひとりである。

 

 

・ミケル・シトウ「カテリーナ・デ・アラゴンの肖像」

 

伏せた視線、中央から分けた髪、頭飾りと後光により、

慎ましく黙想に耽る女性の静穏な気配に一段と深みが増す。

モデルを聖人に見立てたのは、その敬虔さを尊重してのこと、金の首飾りにKとバラを交互に連ねていること、前身頃を貝で縁取っていることから、モデルはアラゴンのカテリーナと思われる。

シトウはエストニアに生まれ、ブルージュでハンス・メムリンクに師事した後、イタリアとスペインでネーデルラント派の精緻な肖像画の伝統を受け継ぐ画業を営んだ。

その作風はきわめてりゅうちょうで写実性が高く、写真でさえこの絵以上にモデルの素顔をよく伝えるとは考えにくい。

光をたたえ香り高い色彩の宗教画がわずかに残されているほか、洞察豊かな美しい肖像画で現存するものは、この素晴らしい作品を含め、ごく少数にすぎない。

 

 

・モローニ「アルビュケル公の肖像」

 

 

威厳堂々、豪奢な衣裳をまとい横柄なくらいの尊厳を充分にとらえた肖像画。

剣を帯びているのは、争いが起これば一族と故郷の都市の名誉を守る気概のあることを示したものだろう。

騎士道に叶ったそうした態度は、控え目ながら誇り高い物腰、そして壁の銘文には「恐れを知らず、死をも恐れず」にも現れている。

親しみのもてる、また画家の揺るぎない自信を感じさせる作品で、驚くほどの写実性と、ヴェネチア派の巨匠ジョルジョーネとティッツァーノに学んだ豊かな色彩と贅をこらした効果がた巧みに融合されている。

無駄なディティールを排した背景の簡潔な構図が、モデルの気高さを鮮やかに印象づける。

威厳ある等身大の肖像(特に庶民を描いたもの)で、16世紀を代表する肖像画家となった。

 

・ドブソン「エンディミオン・ポーター」

 

襟と袖の凝ったレースに真珠のボタン、金糸の刺繍、それに加えて誇らしげな目差しがモデルの社会的地位と派手な活躍振りを伝える。

アポロンの胸像とライフル、兎の屍が紳士のたしなみに欠けることのない、洗錬された人物であることを示す。

ポーターはチャールズ1世の宮内官、ここでは清教徒革命以前の英国宮廷の優雅さを、その姿を通して見る者に教えてくれる。

絶頂期のドブソンは英国屈指の肖像画家と評された。

同時代のオーブリーはドブソンを「英国が産んだ最高の画家」と讃えている。

その画風は精気に富み、英国気質の充溢したもの、豪華な布の巧みな表現は、ドブソンの得意とするところだった。

「暮らしぶりにいささかの不品行、不身持があった」とされるドブソンは借金で投獄され、釈放後はまもなく世を去った。

 

・ギルバート・ステュアート「ジョージ・ワシントンの肖像」

 

統治を任された国家の理想を反映して、アメリカ合衆国初代大統領の肖像は背景のくすんだ色合いが引き立てる容貌は、頼りがいのある、有能な大統領の人格をそのまま現すように、きわめて写実的に描かれる。

18世紀の初頭のアメリカで、スチュアートは最高の肖像画家の名をほしいままにした。

また長寿を得て、アメリカ建国以来5代目までの大統領の肖像を手がける栄誉に浴する。

独立戦争の期間をロンドンで過ごし、同郷の歴史画家ベンジャミン・ウェストに師事、英国の画家ゲインズボロとレノルズの肖像画に学んだものを故国もちかえり、アメリカ人らしい率直さを加えて独自の作風を創りあげる。

スチュアートの描いたワシントンの肖像は、ドル紙幣の図柄のもとにもなった。

 

 

・ウィリアム・ブレイク「憐れみ」

 

死んだと思われる女性が地面に横たわる。

その上を女が2人、髪を風になびかせ、馬の背に乗り疾駆する。

1人が地面を見下ろし、小さな子供を抱き上げる。

この絵はシェイクスピアの一節、ダンカンを殺したらどうなるかマクベスが思案する場面の挿絵として描かれた。

ブレイクはフォルムをくっきりと描き、伝統的な構図や遠近法を捨て、謎めいた別世界のイメージを喚起した。

ブレイクのスタイルは、幻想と現実の交錯する独特な神秘的想像力の産物だろう。

挿絵画家として出発したブレイクの天才は象徴性の目覚ましい絵画ばかりでなく、詩にも発揮された。

ブレイクは精神界を物質的より重視し、真の芸術家は超越的な考察力を授けられた預言者と考えた。

 

 

・ミレー「落穂拾い」

 

 

三人の農婦が刈入れ後に僅かに残る落穂を拾い集めている。

遠くには豊かな収穫物を馬車に積む人びとの姿が見える。

冷めた黄金色の光は人物像に気高い威厳を添えるけれども、この作品は農村暮らしの単なる描写にとどまらない。

地平線の彼方に霞む富裕階級が残した僅かなおこぼれを、苦労してでも集めねばならない貧しい農民層がいるという事実を世間につきつける激しい社会批判でもあった。

ミレーは農婦の尊い骨折りと土に親しむ暮らしを芳しい写実性で描き、心の痛む貧困の情景を荘重で高貴なイメージに変容させた。

発表当時は批判を浴びたが、現在では19世紀を代表する名作のひとつたされている。

ミレーは彫像的なフォルムの簡潔な表現と、雄大なスケール感をもつ優れた素描も残した。

 

 

・ビンガム「ミズーリ川を下る毛皮商人」

 

霧のかかったミズーリ州の静かな水面を、2人の罠猟師とその飼い猫が下ってゆく。

穏やかな水面にきらめく暖かい光が、時を越えた夢のような感覚をかもす。

男2人の姿は、まもなく見えなくなってしまうだろう。

ビンガムは初期作品の多くで水平線と対角線を入念につりあわせ、直角に配した人物により堅牢な構図をくみたてた。

初期の北米開拓地を主題とした画家の中でもとくに重要なビンガムは、西部の風景と開拓民を描いた。

カメラが普及するまで、新天地の様子を世のなかに伝えるのは画家の仕事だった。

ビンガムは次第に川を離れて奥地へ向かい、やがて政治家に転身する(1848年にミズーリ衆議会員に当選した)。

しかしその名を聞いてひとが思い出すのは政治家ではなく、過ぎ去ったアメリカの生活を描いた、優れた画家としてのビンガムだろう。

 

 

・クールベ「こんにちはクールベさん」

 

1854年5月、芸術家の庇護者、美術品のコレクターとして知られているアルフレッド・ブリュイヤの招きを受けて、クールベはモンペリエを訪ねた。

ここはナップサックを背負い杖を手にしたクールベが、招待主と従者、飼い犬に路上で迎えられる様子がが描かれている。

主題の選び方が奇抜なうえに、それをリアリズム一本槍で率直に描いたこの絵は、1855年パリ万国博覧会で展示で展示されるとかなりの反響を呼んだ。

その後まもなくクールベはアカデミックな歴史、宗教画に囚われない、斬新で反知性的な美術の旗頭にまつりあげあれれる。

文学的な主題を離れ身近な自然に目を向けたクールベは、マネと印象派に大きな影響をおよぼした。

教会用の天使を描いてほしいと頼まれて、「天使など見たこともない。見せてくれれば描きますよ」と答えたとの逸話もある。

 

 

・アルマ・タデマ「見晴らしのよい場所

 

ローマ時代の婦人3人がベランダの角から、帰港中のガレー船を見下ろしている。

太陽の高さ、暖かみが感じられる作品。

着衣の生地、大理石のベランダ、ブロンズの動物像の描写は細部まで揺るぎない、婦人たちの位置関係や目下遙かに広がる海の描き方に、こみいった遠近法の扱いに長けた画家の技量がうかがえる。

1870年イギリスに移り住んだオランダ人のアルマ・タデマは、古代ローマ、ギリシャ、エジプト人の暮らしを新古典派の作風で描き、ヴィクトリア朝期の人気を博した。

作品には考古学、社会史に関する造詣の深さも現れている。

舞台美術もしばしば手がけ、その代表作に1901年にロンドンのセリムア劇場で上演されたヘンリー・アーヴァング作「コリオラヌス」がある。

 

・ウォーターハウス「シャロットの令嬢」

 

 

最期の旅に出ようとする不運な娘を包む冷気まで感じられそうな画面を、不吉さも漂う娘の美貌が支配する。

悲劇的な物語を伝えるのに加えて、風景画としても詳細な観察が眼をひく、草の一本まで丹精こめて描き、水面に映る影にも手抜きはまったく見せない。

ウォーターハウスはラファエル前派を信棒し、先達に倣って詩や神話の場面を描いた。

劇的な瞬間を的確につかむ感覚を備え、構図に対する鋭い勘と優れた技量にも恵まれた。

しかし安定した人気の秘密は、何よりも女性モデル(この作品では画家の夫人と思われる)の憂いを含む美貌に求められるだろう。

 

 

・ムンク「マドンナ」

 

心の赴くままにポーズをとった聖母を大胆に描き、見る者を絵の中に引き入れる神秘的な官能性の充満する作品。

うしろめいた情欲をそそり、しきりに相手を挑発しながらも、黒髪と暗い目差しには、悲劇の影がつきまとう。

嵐のように渦巻く背景は、悩み多い魂を予感させる。

ムンクの生涯も死、病、精神的危機と縁の切れないものだった。

ノルウェーに生まれ、旧来の手法で絵を描き始めたが、まもなくゴッホとゴーギャンの作品に興味をもつ。

作品を通して心の奥底にある感情や欲望を表現する術を探りはじめる。

作品にみなぎる熱っぽいエネルギーと沸騰する情熱に着目すれば、ムンクが主情的な歪曲と誇張した色使いで最大限の表現力を求める表現主義の創始者とされるのもうなずけるだろう。

 

 

・グラウント・ウッド「アメリカン・ゴシック」

 

 

アイオワ州南部の小さな町で見かけたゴシック様式の質素な田舎家に魅せられ、

それをきっかけに心に湧いたイメージを描いた作品。

地味な白い家の前に立つ夫婦のモデルを務めたのは、妹とかかりつけの歯医者だった。

中西部の価値観を諷刺したと非難されたが、本人はアメリカの片田舎に見出した地に足のついた、清教徒的謹厳を讃えるつもりで描いたと反発した。

終生アイオワに暮らしたウッドは「地方主義」の主唱者の一人、これはヨーロッパ文化の支配を逃れ身辺に発想の源を求めることをめざし、1930年代の北米に広まった写実主義に基づく運動、生き生きとした線で輪郭をくっきりと描き、精妙に陰影を添える作風は、1920年代にヨーロッパを訪ねて間近に触れたゴシックや初期ルネサンスの巨匠の作品から学んだものだった。

 

まとめ

世界の美術館には星の数ほどの人物画家の作品が展示されているが、

見逃してしまっている作品がほとんどかもしれない。

ここで紹介した画家の作品は海外では一般的に人気がある作品です。

日本ではあまり紹介されていない画家もいましたが歴史的に重要な役割を

した画家たちです。

歴史に見る人物表現の変化は、画家の目的と思想の掛け合わせによって表現され、

社会との関連性が産むストーリーで描く内容と画題が決まっていくことを教えてくれています。

 

・絵具はどのようにつくられるのか?

・「線と色」で自分らしさを出す

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ABOUTこの記事をかいた人

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。