「ミケランジェロ」天地創造

「神のごとき」と形容された巨匠ミケランジェロ。

彼のローマでの日々は、栄光の日々であると同時に苦悩の連続でもありました。

才能があるがゆえに、権力者に利用され続けた大天才の魂は、何処の地で安らぎを得ることができたのでしょうか?!

年譜

1475年 アレッツォ近郊のカプレーゼに誕生 家族はフィレンツェに移る

1488年 ドメニコ・ギルランガイオの弟子となる

1489年 ロレンツィオ・デ・メディチの彫刻家のための学校で修行開始

1494年 フランスのシャルル8世イタリア侵攻 ヴェネツィアに逃れる

1496年 ローマに出る

1501年 フィレンツェに戻り「ダヴィデ」制作

1505年 ローマに戻る ユリウス2世の廟堂の制作を依頼される。

1508年 システィーナ礼拝堂天井画の制作を始める。

1527年 カール5世、ローマを攻撃 メディチ家はフィレンツェを追放され、ミケランジェロは要塞の建築を監督する

1529年 メディチ家がフィレンツェに戻り、ミケランジェロはヴェネツィアに逃れるが、その後フィレンツェに戻る

1534年 フィレンツェを去り、ローマに行く

1536年 ヴィットリア・コロンナと出会う。「最後の審判」の制作開始

1547年 サン・ピエトロ大聖堂の建築主任となる

1564年 ローマで死亡

 

 

 

「ミケランジェロ」巨大な天井を埋め尽くす

今にも触れあわんばかりの指と指。

右側の指は生命観にあふれ力強く、左側の指はまだぐったりして、それぞれの指から腕、肩とたどっていった先には、神の威厳ある顔と、青年の顔が描かれています。

ここに描かれているのは、神が最初に人間を創り、指先から魂を吹き込んでいるその瞬間なのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチとともに、ルネサンス芸術の最高峰に位置するミケランジェロ

ミケランジェロの生涯は「私は彫刻家である」と言い続けたましたが、建築家、画家としてもたぐいまれなる才能をしめし、数少ない絵画作品の中で、1508年の33歳のときに着手したヴァチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」は、彼の才能を余すところなく伝えています。

旧約聖書にもとずはいた9場面からなる「天地創造」の4番目に位置する「アダムの創造」は、見る人の視線を中央の指先に集める大胆な構図、神やアダムそして天使たちのみごとな表現。

絵画で表さた最も崇高で美しいキリスト教世界として、誰もが認める見事な出来栄えです。

ミケランジェロは、高く組まれた足場の上で、首と目を傷めながら仰向けで描き続け、「天地創造」をたった一人で、それもたった4年という驚異的な早さで完成させました。

 

 

「ミケランジェロ」天地創造を制作をしぶる

1508年5月、フィレンツェからローマに招かれたミケランジェロはヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の中で1人たたずんでいました。

「この広大な天井に何を描くべきか・・・・」

時の教皇ユリウス二世は礼拝堂の天井を壮大な絵画で埋め尽くしたいと考えていた。

ミケランジェロが失敗することを狙ったライバルたちの策略にものせられて、すでに彫刻作品で評判を得ていたミケランジェロに白羽の矢をたてたのです。

教皇に頼まれた墓標の制作が開始したばかりのミケランジェロは気乗りしませんでした。

しかもフレスコ画の経験がまったくなかったのです。

 

「ミケランジェロ」強引に契約させられる

そんなミケランジェロに教皇はなかば無理やりに契約を結ばせたのでした。

20メートルの高さにある細長いかまぼこ形の天井は、長さ41.2メートルでそこには青い夜空の星が描かれていました。

側面の壁にはボッティチェリ、や師匠のギルダンガイオ、ラファエルの師匠ペルジーノらの先達の傑作が描かれています。

信仰心厚く、ネオ・プラトニズムの深い教養と豊かな想像力を持つ彼は、「天地創造」を中心とした一大叙事詩を構想したのです。

 

「ミケランジェロ」「天地創造」を構想する

ミケランジェロはまず、天井の水平面を9つに分け、祭壇側から、天地創造の物語を展開していきました。

この9つの場面は大小に分けられ、そこに収める絵の構図上、2組の場面は順番を逆にすることにし、「日と月と草木の創造」「神、地と水を分ける」もう一組は「ノアの洪水」と「ノアの燔祭」で、入り口側の「ノアの泥酔」から描きはじめました。

ところが、さっそく描いた部分にカビが生えるトラブルがおきます。

くじけそうになりながらも、ミケランジェロはまた筆を握り9場面を描き上げたのは8か月後でした。

普通こういう大作は、当時は何人もの弟子を使い、分業で制作するのが常識でした。

ミケランジェロも初めはフィレンツェから助手を呼んでいましたが、完璧主義のかれにはその仕事が気に入らず、結局は一人で制作を続けることになったのです。

 

 

「ミケランジェロ」たった一人で4年の歳月をかけて・・・

1510年1月から9枚の絵の周囲を埋めていきました。

旧約聖書に出てくるヘブライの預言者7人とギリシャやペルシャの異郷の地の巫女5人、8つの三角部分は旧約聖書に登場するキリストの祖先たちです。

そして天井の四隅には、イスラエルの奇跡の救済の物語、20本の柱の上の彫刻的ポーズの若者像は、4人一組で五組に分けられ、春、夏、秋、冬、視覚、聴覚、嗅覚、味覚といった、自然や人間を構成する4つの要素の擬人像であるという。

すべてが完成したのは1512年10月わずか4年で、この大作をたった一人で描き上げたという奇跡を、ミケランジェロは成し遂げたのです。

完成した年の万聖節11月1日、華やかな除幕式が行われました。

以後この奇跡の天井画は、500年近くも人々に感銘を与え続けているのです。

 

「ミケランジェロ」天地創造の内容

1.神、光と闇を分ける

天地創造の第1日目。荒涼とした地と防風吹き荒れる水面を前に、神が「光あれ」と言うと闇から光が分かれた。そして、神は光を昼と呼び闇を夜と呼んだ。

 

2。神、地と水を分ける

2日目に神は「水の中に大空あれ」と天と水を創造。そして3日目「天の下の水は1ヵ所に集まり、陸現れよ」と言い、海と陸を作った。

 

3.日と月と草木の創造

さらに3日目に草木を作り、そして4日目に神は二つの光を作った。つまり昼を照らす太陽と、夜の月である。さらに星々も散りばめた。

 

4.アダムの創造

5日目、6日目に動物を創った神は、最後に「我々に似せて人を創ろう。そして、それにすべての動物を従わせよう」と言って、アダムを誕生させた。

5.イブの創造

神はアダムを眠らせ、そのあばら骨の一つを取り出し、初めての女性イブを創った。そして神は7日目を休みとした。

 

6.原罪と楽園追放

「けっして食べてはいけない」と言われた知恵の木の実を、アダムとイブは蛇にだまされて食べ楽園追放の罰を受ける。

 

7.ノアの大洪水

神は悪が広がった地上を一掃するため大洪水を起こす。しかし、洪水がひいた後のことを考え、善人ノア一家には箱舟を作らせ「各動物、ひとつがいずつは乗せてもいいと言った。

 

8.ノアの幡祭

洪水を逃れたノア一家は、地上から水を引いたあと、神に感謝したいと思った。そこで祭壇を作り、動物の肉を焼いて神にささげ儀式を行う。

 

9.ノアの泥酔

農婦となったノアが、葡萄酒を飲みすぎて裸で寝てしまった。すると、それを見た三人の息子のうちハムが笑い、セムとヤぺテは衣を着せかけた。

 

「ミケランジェロ」天地創造の歴史的意味

ミケランジェロは美術史上、屈指の巨匠であり、作品、は質、量ともにずば抜けています。

ルネサンス期最大級の画面を誇る偉大な傑作「天地創造」。

この大きな画面には何百という人間が、考えうる限りのさまざまなポーズで登場します。

理想的肉体美の人間が、見事な調和を保つ図は神わざで、ギリシャ以来、西洋美術が追及し続けてきた肉体表現は、ここで究極の世界に到達したと言えます。

そして次の時代の芸術家たちに影響を与え、マニエリスム、バロックへとつながっていったのです。

 

まとめ

ミケランジェロの「天地創造」は、美術史上最も多くの画家たちに敬意を払われた名作。

数多くの歴代の巨匠たちは、この天地創造を模写して学んだとされています。

この奇跡の名作は、人類の遺産であり我々に多くの大切なことを教えてくれます。

人生に一度は是非見ておきたい名作ですね。

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画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。