「千利休」の抽象的な美の世界

世界のトップ企業の多くの幹部候補たちがアートスクールで「美的感覚」を磨いている人が大勢います。

これからの経営は美意識無くして成功できないと、考えられているからです。

アートフェアに来る、超富裕層で経営者の彼らがアートを愛する理由もこの「美」が関係しているのです。

ですが、企業や社会に「美」をどのように取り入れていけばいいでしょうか?

そのことを教えてくれる芸術家が過去に存在しました。

その人は、日本の歴史を代表する大茶人「千利休」です!!

 

どの時代のリーダーも「美意識」が高い

政治家と「美術」

20世紀の歴史のなかで最も強力なリーダーシップを発揮した2人の政治家がいました。

ウィンストン・チャーチルとアドルフ・ヒトラーがともに本格的な絵描きであったことはご存知でしょうか。

最近では、自ら芸術的な趣味を実践しているという人ほど、知的パフォーマンスが高いという統計結果が出ています

絵を描くことは、リーダーに求められる様々な認識力を高めることが分かっています。

 

「美」と「政治」のつながり

古代より政治家は、芸術の担い手として多くの芸術家を支援してきました。

王侯貴族やローマ法王まで、自分の権力を見せつけるかのごとく最高の芸術を求めました。

芸術が中心の社会は、人々の関心を呼び社会の急激な発展につながっていとのです。

なので、競うように巨匠たちを自国に招待してもてなし、素晴らしい作品を生み出してもらうために芸術家への待遇は計り知れないほどでした。

ルネサンスの巨匠ラファエロは、まるで王侯貴族のような暮らしをしていたとされています。

ルネサンスからバロック期には、多くの期待が芸術家に求められていたのです。

そのおかげで、我々は、名画や世界遺産を見ることができているのです。

 

技術、自然、科学、芸術のバランスが重要

アートがない形では方法論に限界が出てくる

今もっとも問題とされているのが、「情報処理スキルの限界」です。

多くの人が情報処理のスキルを身につけたことで、競合する商品同士の差別化の特性が失われています。

商品の価格や買いやすさだけを理由に選択されることが、世界中で問題になっています。

「論理的・理性的」に「情報処理」することは、「他人と同じ正解」を出すことになるわけです。

このように今商品の「差別化の消失」という問題が「方法論としての限界」の理由です。

 

「論理」と「直感」をバランスよく活用することが重要になる

「論理」と「理性」に頼っていたことで、「差別化」できないことでことが、問題になっています。

「直感」と「感性」をバランスよく活用できれば、その問題を解決することができるのです。

こらからの理想的な経営は、「芸術」と「技術」と「自然、科学」が混ざり合ったものになるでしょう。

「芸術」は社会の美しい形と未来を直感し、創造性を生かし予測を超えた表現で新たな形を生み出します。

・芸術だけでは芸術を追及するので、本当の芸術家になってしまいます。

・技術だけでは、経験を繰り返すで新たな発展は望めません。

・自然科学だけでは、数値と結果で証明できないことはさけるため、新しいビジョンとは無縁です。

現在日本では「自然科学」と「技術」が重視されて、ビジネススクールでも「自然科学」しか教えていません。

今世界のトップ企業は、「芸術」、「自然科学」、「技術」の三つの要素のバランスを組み合わせた方法に取り組んでいます。

 

 

「千利休」はこれからのグローバル企業のお手本

世界最初のクリエイティブディレクター「千利休」

・クリエイティブディレクター(コンセプトを開発し、アイデアを具現化するための指針を決定すし、専門スタッフを支持する中心的な立場の人物)

「千利休」は戦国時代に活躍した堺の大茶人です。

織田信長や豊臣秀吉に仕えた芸術家と考えていいでしょう。

三者の関係性は、現在の理想とする美意識の扱い方のお手本になるものだと思います。

「千利休」は世界初のクリエイティブディレクターだと考えられます。

利休は歴史上はじめての「制作指導」と「進行管理」はしますが、「自身で職人的な制作」は、しない人でした。

 

芸術家の常識と「美」

洋の東西を問わず、芸術的な美を生み出してきた巨匠のほとんどは、自分が創造者で制作者でした。

ミケランジェロルノワールもピカソも一人で制作しています。

ラファエロルーベンスティッティアーノが大きな工房のプロデューサーであっても画家としての高い技術を持ったうえで、多くの職人を束ねていたのです。

ですが、千利休という人は考え方が違いました。

利休が制作した作品は、茶しゃくと花入れくらいしかありません。

茶室、庭、茶道具、水指や炭とり、棗(なつめ)や茶入れ、茶碗などについては、利休が職人にコンセプトを細かく伝えて、制作してもらうクリエイティブディレクターの立場に徹しています。

資料を見ると、利休は職人たちに実に細かく指示していたようです。

 

抽象的な「美」

千利休はスペインのベラスケスが任命されていた王室配室長のように、信長や秀吉の支配する社会の美的側面領域の責任者の役割を担当していたと言えます。

信長と秀吉は、自分の支配領域に利休の美術的才能を利用して、社会の文化に反映させて、影響力を高めようとしました。

千利休の素晴らしいところは、「詫び」という抽象的な美的感覚を、一般的に芸術として考えられていなかった、茶室や茶碗などの具体的な道具におとしこんでいき、おもてなしの精神を生み出していきます。

利休の利休の名声を得たきっかけは、若いころに対馬から朝鮮半島に行き、今の釜山(プサン)あたりで陶器を買い付けに行くことから始まっています。

(高麗茶碗)

朝鮮の庶民の生活スタイルと風習に利休は、新しいヒントをたくさん得ます。

日本は戦国時代でしたが、朝鮮は200年以上の平和が続き朝鮮時代の文化発展の絶頂期でした。

当然利休は、異国と日本の状況に衝撃を受けたに違いありません。

利休は、法事や祭事に使われていたお供え用の陶器(高麗茶碗)を日本に持ち帰り、茶を入れることで人々に大きな衝撃を与えていきます。

(高麗茶碗)

茶室に土壁の質素な作り、入り口などの建築的な要素も、朝鮮の土壁の民家からヒントを得て利休の好みに茶室にしてしまいます。

また現在我々が好んで食べている「お好み焼き」も朝鮮のチヂミ(現在に比べて野菜が中心)にヒントを得て利休が考案し、大名たちに振舞っていました。

芸術家で食にまでこだわった人は、利休とレオナルド・ダ・ヴィンチの2人ぐらいでしょか?

ダ・ヴィンチは四角く大きな平たいパスタを麺にした考案者です。

しかもホークの先端が2本だったのを3本にして、食べやすく改良したのもダ・ヴィンチです。

利休もそれに通じる同じようなことをしていました。

戦国時代にキャベツは、たぶんまだ使われていなかったかもしれませんが、ポルトガル船が往来している時代なので利用していたのかもしれません。

古代のチヂミは白菜を使っているので、もしかしたら白菜のお好み焼きだった可能性があります。

利休は朝鮮の民と職人たちと何回も交流し、仲良くしていたので、秀吉の朝鮮出兵に大きく反対していたのもうなずけます。

「詫び茶」の抽象的な「美」は、異国文化の「美」にたいする理解が、新たな「茶」が中心になる利休独自の空間芸術に発展した「美」です。

「茶を飲む」という日常の中から、抽象的な「美」を見つけそれを自然と一体化させ、人に何かを気づかせる自然芸術なのです。

 

「天地いっさい一杯の茶に及ばず」  千利休

 

僕は利休のこの言葉に、「利休芸術」のすべてが込められているとお思います。

(千利休屋敷跡)

「茶と湯とはただ湯を沸かし、茶を点でて、飲むばかりなる事と知るべし」   千利休

 

 

世界に類例がないプロデュース

利休は自ら制作者として、活動することはありませんでした。

ですが、クリエイティブディレクターとして、職人を使い細かく指示して全体を完全な形でプロデュースしています。

近代以後のコンセプチュアルアートはアーティスト自ら制作して、個別の作品を設定しているだけです。

それに比べて利休は、美意識をコンセプトの中心は、侘び茶を通して、書画や、茶道具、建築、植物や庭などにまで拡げながら、全体をプロデュースしています。

正統な芸術家としての訓練を受けていない人がこんなことをやり遂げている。

ほんとうに信じられないことです。

このような方法は、世界的に見ても類例がありません。

世界の常識では考えられない才能を持った利休を、信長や秀吉はスポンサーとして支え、一方で、技術を担う職人も支えました。

 

「秀吉」-「利休」-「秀長」のトライアングル

信長と秀吉は、側近だけで周りを固める他の武将と比べて、芸術全般アドバイザー千利休を特別に重んじているところです。

特に秀吉は、芸術の側面を利休に、自然科学の側面を弟秀長に任せることで、豊臣政権内の意思決定のクオリティを高い水準に保つことに成功しています。

「秀吉」-「利休」-「秀長」のトライアルは、絶妙で微妙なバランスを保っていました。

ですが、秀長が病死してしまうと、1ヵ月後に利休が切腹して亡くなり、朝鮮出兵や後継者秀次一族の虐殺と、間違った意思決定を連発して自分の政権を崩壊させていきます。

 

まとめ

組織の意思決定の品質は、リーダーの力量だけで決まるわけでなく、ひとつのシステムとして機能すると思います。

人材をいかに有効に配置してバランスをとるのかが重要で、システムのバランスが崩れると意思決定の品質も低下することになるでしょう。

これからのグローバル企業を中心とした世界の企業は、千利休のような抽象的な美意識を形にする豊かな才能を活用していかなければならないと言えます。

また画家や芸術家は、利休のように海外の文化を学び、自分の創造のヒントにできるクリエイティブな才能を磨くことが求められるでしょう。

・自分用の制作マニュアルを持とう!

・「聖母マリア」の処女受胎思想

・これからはプロの画家よりも、アマチュアが活躍する時代!!

・絵のテクニックとバランスは大事!

・画家は「本質を見抜く力」が必要だ!!

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ABOUTこの記事をかいた人

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。