西洋絵画の魅力を世界に知らしめた油彩画の歴史のなかで、肖像画の役割は重要でした。
王侯貴族が競うように、優秀な肖像画家を求めて自分の肖像を描かせました。
その中でも時代の中で、魅力ある画家たちの絵筆は現在の我々にも不思議な美を感じさせてくれます。
評価の高い4名の人気作品
今回、イタリア、スペイン、フランスの3カ国の画家4人の作品を紹介します。
彼らは各時代の人気画家でした。
現在でも、この4人の絵は、ヨーロッパで人気がある画家たちです。
ティッティアーノやベラスケスは西洋絵画の基本であり、一種の到達点と考えてもよいほどの腕前を持つ巨匠です。
グルーズとルブランは、フランス革命を体験した画家ですが、絵画の革命もこのとき起きています。
ティッティアーノ 「書物を持つ男の肖像」
16世紀のヴェネツィア美術は、盛期ルネサスの到達した頂点の1つといえます。
テンペラによる板絵にかわって、カンヴァスに油彩を用いる新技術を極めついた点で、ヴェネツィア美術は革命的でした。
それは、表現に新たな自由さと自発性をもたらし、厚みのある色層を用いた不透明な筆致を可能にしました。
精妙な雰囲気描写のなかで、輪郭よりは色調によって形象を描き出し、主題に詩的で、個性的な趣きを求める新たな画法が、まさしくそれに相応しい、神秘的で豊かな情感を産み出しています。
現在の研究者たちは、いまなお捉えどころの定まらないジョルジョーネを、この新様式の創始者としています。
山間の町ピエーヴェ・ディ・カドーレからヴェネツィアに出てきたティッティアーノ・ヴェッリオは、その作風を見事の模倣することで名を挙げ、たちまちその作品はジョルジョーネのものと見分けがつかなくなったと言われている。
ジョルジョーネは不運にも若くしてこの世を去るが、その成果を引き継いでティッティアーノが、16世紀のヴェネツィアのみならず、全ヨーロッパに君臨する芸術をうち建てることになります。
ティッティアーノの記念碑的様式は、1516年~18年の間に確立する。
サンタ・マリア・グロリオザ・ディ・フラーリ聖堂に高々と掲げられた祭壇画「聖母被昇天」は、ヴェネツィアで匹敵するものとない評価を獲得します。
ティッティアーノは次第に、イタリアの君主や、ついにはカール5世のために制作するようになり、その後、長い生涯にわたって、ヴェネツィアや外国のパトロンたちの多様な注文に応じて制作を続け、1545~46年にはローマへも旅行しています。
この魅力的な肖像画のモデルは、誰であるか判明していません。
少々風変わりな服装から、ヴェネツィアの人ではないかと思います。
金の飾りのついた黒いマント、白い下着ののぞくスリットを入れた胴着、金の襟飾り、羽根飾りのついた帽子といったものが、ティッティアーノには珍しい威容をこらした肖像画を描かせる契機となったています。
ベラスケス 「王女マリア・テレーザ」
ベラスケスのような17世紀の宮廷画家にとって、主な役割の一つは、皇族の肖像画を制作することであり、さらに重要なことは、ヨーロッパ中の宮廷に対すて示される、王者に相応しい絵姿を創案することでした。
当時王家の肖像画は、単に画中の人物を美化して見せるだけではなく、時には微妙な、また時にはあからさまな政治上のメッセージを伝える役割を果たさなければならなかった。
多くの宮廷画家は、オリジナルを模写させる助手を抱え、その制作を監督したり仕上げの筆を加えたりしていしていました。
ボストンの作品は工房で制作された模写で、大部分の研究者は、ウィーンの美術史美術館所蔵の作品をオリジナルとすることで、一致した見解を示しています。
15歳のマリア・テレーサ王女を描くこの肖像は、1652年ないし1653年に制作され、後にオーストリア王となるハプスブルク家のレオポルド1世との縁組みを用意するために、オーストリアに送らせます。
フェリペ4世の娘として、王女の結婚は、政治的にも需要な意味をもっていたが、この縁組みは、意図した結果には至らなかった。
結局その8年後、王女はフランスのルイ14世と結婚し、一方レオポルド1世とは、1666年に彼女の異母姉妹になるマルガリータが結ばれている。
マルガリータ王女の、愛らしいブロンドの容姿は、ベラスケスによる幾点かの肖像画にみごとに杷えさせておりプラド美術館の「ラス・メニーナス」はなかでも最も良く知られています。
若い王女は、緑色の掛け布を背景に、誇らしく立っています。
真珠のちりばめ、赤みを帯びたほほと響きあうサーモンピンクのタッチを配した、銀白色と灰色の諧調を示す王女の肩掛け、そして真珠をちりばめた凝った衣裳を圧して際立たせる人形のような白い顔は、素早く大胆な筆致で描写されています。
初期に比べ、ある程度の自然主義を保ちながらも、王家の肖像画としての理想化を試みる、いわばヴェールをかけた公式化に展示ている。
グルーズ 「若い女性の肖像(白い帽子)」
1725年に生まれたグルーズは、リヨンで教育を受け、短いイタリア旅行の後、1757年にパリに定住しました。
彼は、18世紀における最も美しい魅惑的な肖像画を制作したが、それより当時すでに有名だった道徳的風俗場面によって記憶されている画家でした。
彼は、こうした作品の真面目な道徳性をもって、最高のカテゴオリーである歴史画の画家としてアカデミー入りを望んだが、結局風俗画家という低い位階で会員認定されたため、アカデミーと訣別することになった。
公的なサロンに出品するよりむしろ、グルーズは作品を自分のアトリエに展示し、それも毎のサロンと同時に公開するという方法を取った。
公的な美術かいとの決別にもにかかわらず、卓越した画家であり、有名な美術愛好家から注文を受けている。
大革命からナポレオンの時代にも制作を続けたが、この頃にはすでに時代遅れの旧体制の画家と見なされた。
この名もない若い婦人の肖像は大革命以前に評判を取った絵の典型的類型、肉感性と無邪気さが共存するあいまいなで官能的な美しい若い女性の肖像です。
作品には優しさが漂うが、それは、灰色の色彩と薄いピンクの肌色のトーンに由来しているかもしれません。
絵の楕円形は、スカーフや、人体を包むモスリンの優美な衣服のS字曲線、羽飾り、帽子そして巻き毛などの曲線に呼応している。
悲しそうな瞳、閉じた唇そしてブリーツされたオーガンジー製の帽子のフォーマルな感覚とは対照的に、官能性が胸を一部をはだけたルーズな衣服に表現されている。
1780年頃に制作されたこの作品は、グルーズが、流行のモードに通じていることを示しています。
マリー・アントワネットが好んだ、田舎の少女が着るような飾り気のない衣装に由来するロマンティックなファッション、絵のモデルの刺激的な日常着もこの流行を反映したものです。
この小品の優美さとくだけた魅力は、18世紀のフランス・ロココの本質を要約したものだといえる。
ルブラン 「若い女性の肖像」
1755年パリに生まれたエリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルヴランは、大革命前までフランスで、最も有名な肖像画の一人でした。
宮廷における成功は、1779年王妃マリー・アントワネットの肖像画の注文を受けたとき、確固たるものとなります。
その成功にもかかわらず、1783年までアカデミー入りできなかったのは、女性であることや画商と結婚した理由などによる。
彼女は、貴族を描いたというだけでなく、彼女自身貴族社会に属していました。
そのため1789年の大革命によってフランスに留まることができなくなり、娘と共に初めてイタリアへ逃がれそれからウィーン、ペテルブルク、ロンドンと移り住み、結局パリに戻ってきたのは1802年でした。
その間彼女は、ヨーロッパで最も魅力的なフランス宮廷に関わった輝かしい肖像画家として行く先々の上流階級にもてはやされた。
彼女の最も重要な作品は、この80~90年代にかけて描いた各国宮廷の人々の肖像です。
その後1842年に亡くなるまで制作し続けたが、その後最も注目される仕事は肖像画ではなく、1835~37年の間に出版された回想録かもしれません。
彼女の描いた多くの貴族の肖像画と共にその記録は、大革命により破壊され、19世紀半ばまでにほとんど消滅してしまった西洋貴族社会の重要な備忘録です。
かつて画家の娘ジェリーと考えられていたこの魅力的な「若い女性の肖像」は、ヴィジュ・ルブランがロシアにいた1797年頃に制作えたものと推定している。
この若い女性は楽しい散歩(あるいはアイススケート)の途中であるようです。
他の作品の中にもこのように人物の動きの途中を描くという方法は見られます。
ロシアの伯爵夫人かもしれないこのモデルは、頭部だけをスカーフで巻き、髪は自由になびかせている。
色の配合は豊かだが、衣裳のところどころに繰りかえされる明るい赤を除いて、抑制されたものです。
帽子、スカーフ、ショールなどに繰り返される曲線が、女性のまろやかな形のイメージを高めています。
快活な表情が示す気取りない素直さとシンプルな衣裳は、この肖像画が18世紀初期フランスの挑発的な肖像画より19世紀に近いものであることを示している。
まとめ
日本ではなかなか見れない絵ですが、機会があればぜひ見てほしい4点の肖像画です。
西洋絵画の歴史は長く、時代の変化で描く画法は違いますが、それぞれの魅力ある絵具の魅力と、絵筆のタッチなどをよく見てほしい。
古い絵になるほど服装やポーズに魅力があり、とても不思議な感覚で絵の中の人物と対話できると思います。
肖像画の魅力は、すでにこの世にいない人と心の対話ができるところにある。
自分自身が時代を超えて、その時代を体験することになります。
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