「聖母マリア」の処女受胎思想

『大天使ガブリエルは、ナザレというガラリヤの町に神から遣わされた。

ダヴィデ家のヨセフという人のいいなずけのマリアに、

突如、舞い降りた大天使ガブリエルが、処女マリアに受胎告知をする。

戸惑い疑うマリアは、ついに神の御言葉を受け入れる。』

「受胎告知」の神秘劇は、芸術家たちの想像力を刺激し、

数多くの作品を生み出してきました。

ルネッサンス時代に流行した聖母マリアの「処女受胎」の

神話の来歴をさかのぼってみていきたいと思います。

 

マリアの処女受胎の思想は生まれたのか?!

異性と関わらない単為生殖の神話は世界中に存在します。

ギリシャ神話にもあり、アテネのパルテノン神殿(紀元前5世紀)には処女神アテネが祀られていたし、

中近東では愛と多産の象徴であると同時に処女神でもある女神たちが崇められていました。

旧約聖書を読む限りでは、ユダヤ的伝統には処女性の崇拝はみられないので、

キリスト教における処女受胎にはヘレニズム文化の影響が大きいと考えられます。

女受胎には神話を語る上で、この神話が女性の神秘性を讃えるものとは限らず、

どちらかというと女性は子宮を貸すだけの存在であり、

処女のまま孕ませた男性の奇跡的な力の方が強調されている。

要するに男が与えた種を女が子宮で肉として実らせるこの考えの背景には、

アリストテレス(紀元前384~322)の「形相」と「質料」という発想が隠されています。

つまり、男の方が人間にとって本質的な姿かたち(形相)や精神を与え、

女は胎児の成長に必要な材料(質料)しかあたえないという男尊女卑的な考え方です。

ここで重要なのは、神が人間になる、肉になるという、

キリスト教の最も特徴的ともいえる「受肉」という発想です。

その考え方には両義性がつきまとい、神の寵愛が人間にもたらされることを意味する一方で、

超越的なものへと、不可視のものが可視のものへと、天上的なものが地上的なものへと降りてくる、

ということも意味しているからです。

これはユダヤ教にはない考え方で、具体的に言えば、神が肉となるためには、女性の子宮が必要となる。

となるとその子宮は、完全なものでなければならない。

 

 

強調されたマリアの処女性

3,4世紀には、キリスト教において主導主義と禁欲主義が盛んになり、ヒエロニムス(342年~420年)や

アウグスティヌス(354~430)といった初期キリスト教時代の教父たちは処女性や純潔を強調する。

このことも処女受胎の信仰が広がる要因になりました。

431年にエペソスで開かれた公会議で、マリアは「神の母」であるという教義が定められました。

このときに、マリアを人間キリストの母であるとするネストリウス派は異端とされます。

神性が人間の肉体の姿をとるためにマリアの子宮が選ばれる一方で、マリアも神格化されるようになったのです。

 

聖書に書かれた処女受胎

意外なことに新約聖書はマリアに関して多くを語っていません。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福書のなかで比較的細かく伝えているのが

「ルカによる福音書」でヨハネなどは「イエスの母」と呼ぶだけでマリアの名前すら出てきません。

ルカにしても、強調されるのは処女受胎という奇跡そのものより、旧約聖書「イザヤ書」(紀元前8世紀)の

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと名づける」

という預言が成就されたことしか書いていません。

 

「ルカによる福音書」

「エリザベツは長い間不妊に悩んでいましたが、神への祈りが通じて妊娠する」

これは旧約聖書によくある奇跡の妊娠のエピソードの一つです。

ヨハネは旧約聖書最後の預言者で、しかもキリストを洗礼することになる人物ですから、

旧約聖書と新約聖書をつなぐ重要な存在。

そのヨハネの懐胎と対比させることで、マリアの処女受胎をはまったく

異質のものであると強調しているのではないでしょうか。

人間の夫ではなく神の力で生まれたという処女受胎の優位性がこの対比の中で際立つ。

処女受胎の後、マリアがエリザベツを訪ね、抱き合ってお互いを祝福しあうというシーンは、好んで図像化されています。

 

マリアについての情報

2世紀半ばに成立したとされるギリシャ語の外典に「ヤコブ原福音書」というものがあります。

副題に「いとも聖なる、神の母にして永遠の処女なるマリアの誕生の物語」と

あるようにマリアの誕生から受胎告知とイエスの誕生に至るまでの詳しい経緯を

様々なエピソードを交え生き生きと描写しています。

例えば、姦通を疑われたマリアが、ユダヤの掟に従い、

「苦い水」を飲まされ山に放置されるという神明裁判にかけられ、

無事戻ってくることで身の潔白を証明します。

イエスの誕生直後、疑い深いサロメという女がマリアの下腹部に指を差し込んで

処女であることを確かめたというかなり露骨なソードもあります。

その不敬ゆえにサロメは、手を焼かれるという天罰を受けますが、

すぐに回心し赤子を抱き上げることで手を癒されます。

このエピソードが外典の最後に置かれているため、マリアの処女性が読むものに強く印象づけられる。

このエピソードは6世紀に作られた「マクシミアヌスの玉座」を飾る象牙の浮き彫りに登場しています。

この外典によると、マリアが水を汲みに行っているときに天使の声が聞こえる。

マリアは驚き、戸惑って家に帰り糸を紡いでいると、今度は天使が舞い降りてくる。

処女受胎それ自体は図像化できませんが、画家たちは、天使がマリアに受胎を告げる

受胎告知の図像に様々な工夫や意匠をこらし、処女受胎の思想を表現しようと試みました。

この外典「ヤコブ原福音書」はその豊かな物語性や心理描写のためにその後の

宗教文学や美術に計り知れない影響を与え、受胎告知図が生まれる源泉となる。

 

まとめ

15世紀末に始まる宗教改革の波で北方のプロテスタントの国では

しだいに受胎告知は描かれなくなります。

にもかかわらず、ヨーロッパ美術の流れのなかで、受胎告知は重要なテーマであり続けます。

やはり、子供が生まれるという時に人間が持つ喜びや不安といった人間的要素が、

受胎告知というドラマに感じられるからではないでしょうか。

受胎告知には、図像学的におもしろいというだけではなく、

人間の心や感情に直接訴えかける深い部分があるからだと思います。

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画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。