『ヴィーナスの誕生』サンドロ・ボッティチェリが描いた名作です。
教科書にも紹介されている美の女神。
この優雅な絵は、若いパトロン「ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ」のために1485年に描かれました。
テーマは愛で、それはヴィーナスの美によって象徴されています。
まさに現在でもモナ・リザと肩を並べる人気の名画ですね。
今でこそルネサンス最高の名画の一つですが、当時はメディチ家の別荘に飾られていて一部の人達しか見ることができなかったそうです。
19世紀にラファエル前派の画家たちが、再発見するまでは忘れ去られていたのです。
人文主義的思想において、ヴィーナスはエロスの象徴ではなく美の化身であり、美は真実に等しかった。
ではなぜこの絵はこれほど美しく、忘れ難いほど素晴らしいのでしょうか?
その秘密に迫ります。
その生涯
- ボッティチェリは若いころについては確かなことはほとんど知られていないのですが、13歳で金細工師の弟子になり、15歳で画家になろうと決心して、フィレンツェで名高い画家」フィリッポ・リッピの工房に入ったとされています。
- 24歳ころに独立して有力なパトロンから、制作を依頼され人気作家になると、35歳にはローマに招かれ、システィーナ礼拝堂の壁画を制作し大出世します。
- 1480年代にボッティチェリの名声は頂点に達し、ミラノ公がフィレンツェ駐在の外交官に当代でもっとも信望のある画家たちの名を報告するよう求めたとき、ボッティチェリの名がリストトップに上がっていました。
- 報告には【板絵と壁画ともに第一流の画家である。その作品は力強い雰囲気があり、最善の判断力と完璧なプロポーションで処理がなされている。】とあります。
- 48歳ころ修道僧サヴォナローラが権力を握り、当時のフィレンツェのそうぜんとした雰囲気に影響されたため、晩年の作品はこれまでなく感情起状の激しいものとなっていきました。
- 59歳にはもはや20年前ほどの注文はこなかったようです。
- 1504年にはまだ重要人物とみなされて、ミケランジェロの「ダビデ像」設置委員会に名を連ねていました。
- 1510年65歳で世を去る。オニサニティ聖堂に埋葬される1510年65歳で世を去る。オニサニティ聖堂に埋葬される。
神話画の名手
ボッティチェリは神話を絵の主題として真剣に取り上げたルネサンス最初の画家でした。
それまで描かれたのは、宗教的主題であり神話画はそれほど描かれませんでした。
彼の描く古代の女神は、聖母像と変わらず崇高で美しい。
海の泡から生まれた裸のヴィーナスが巨大なホタテ貝に乗り、花の神フローラと抱き合う風の神ゼフィロス(西風、愛の風)に吹かれて上陸し、そこには時のニンフホーラがキプロス島(ヴィーナスが上陸した場所)に立ち、マントを広げてヴィーナスをむかえようとしています。
ボッティチェリは、古代ギリシャ彫刻を手本にしたと思われますが、プロポーションは古代の彫像とは大きく異なっています。

鑑賞のポイント
ヴィーナスの誕生はこの時代には珍しく、キャンバスにテンペラ(卵を使ったメディウムに顔料をまぜて描く)で描かれていること。
同じく代表作「春は」板に描かれています。
この時代のポプラの木の板に描くのが普通でしたが、ボッティチェリは誰よりも早くキャンバスに描いていました。
テンペラ画は主に水性なので絵の具は油性より薄く、ハッチングのような細いタッチで描かれた線も残っています。
彼はフレスコ画(濡れたしっくいの上に乾かないうちに描く壁画)にも熟達していて、当時の画家にめずらしくデッサンも独立した美術作品の域に到達させました。
線の達人
ボッティチェリは、線に対する感覚をみがいて新たな表現段階にたっし、線を自分の様式のいちばんの特徴にしました。
その優美な線はフォルムのすべてに明確な輪郭線がついており、光と陰の効果を利用して立体感を表現しています。

ヴィーナスの誕生の神秘
一般的には知られていないヴィーナスの誕生の神秘の秘密。
天才ボッティチェリの神々しい不思議な力の秘密を、僕が画家の目で分析してみました。
どのようにしてルネサンスの秘宝は生まれたのでしょうか。
ヴィーナスの誕生の秘密その1
この作品をじーと眺めていると不思議な感覚を感じませんか?
まるで左からの風を感じ、なんとなく右へ風にゆられて流れていくような錯覚をしませんか?
不思議ですよね!
これがボッティチェリの大画家である秘密の1つなんです。
この作品の空間の中で大切なのは何でしょう?
わかりますよね。?!
風です。
風はこの空間で重要な役割をしています!。
風がなければこの作品は名画と言われなかったでしょう。
花もゼフィロスのふく風に乗って美しくなびいています。

ボッティチェリはロマンチストでもありますね。
それに続いて巨大なホタテ貝に揺れ動く波に注目。
ヴィーナスは恥じらいのポーズをとっています。
少し首をかしげ、風になびくブロンドの髪。
泡から生まれたばかりのヴィーナスはゆっくりまぶたをひらきます。
この目なんですが遠くから見ると普通に見えますが、近くでよく見ると向かって右の目が少したれ目に描かれています。

まだ少し眠そうですね。
首をかしげたポーズをしているのでわかりにくいですが、ボッティチェリはわざと下げてえがいたのです。

明るいほうの目とつながる、なびく髪がヴィーナスの色気を引き立てて見る人が、よりいっそう魅力を感じるようにしたのです。
目の角度とウェーブする髪に画家は何度もデッサンしたと思われます。
風になびく美しいブロンドの髪は、ヴィーナスの顔の表情をさらに美しく見せてくれます。
うっとりするほどの美を演出してし、見る人をひきつけるのはそのためです。
この髪の毛が流れる美しさは、彫刻のように美しく入念にデッサンされています。
首元から下の手元までの表現も見事です。
そこにヴィーナスの色気を注ぎこんだのですね。

そして美しい手。
この手の表現は古代ギリシャ彫刻を手本にしていますが、指の表現を変えることによってさらに優美で美しさをましています。
ヴィーナスの誕生の秘密その2
美しいお顔、流れるブロンドの髪、優美な両手、そして足になりますが、ちょっとよく見てください!
ここがヴィーナス誕生の2つ目の秘密なんです。
そう! 足の位置です。!!!
本来ならお顔、右手、左手、その下にひざ、足先にならないといけないのですが、わざとボッティチェリは足を画面左にずらしていますね。
なぜそんな不自然な位置にしたのか?
向かって右足がこの位置だと、人は立っていられず右側に倒れてしまいます。
秘密ヒントは右側にいる(時のニンフ)ホーラにあります。
ホーラの持つ赤いマントに注目しましょう。

右手の下のマントが風の力で弓のような形になっていますね。
ヴィーナスも頭から髪、足まで少し弓状になっています。
そしてヴィーナスの向かって左足は少し浮いているように描かれています。
ホーラの足もあわてて駆け寄ったからか、つま先だけで立って軽やかに浮いているみたいですよね。
左側のゼフィロスとフローラも飛んで浮いています。

花も浮いています。

この二人が吹く風が画面全体を半重力的にし、ヴィーナスの足元を不安定に描くことによって風の力で軽やかな流れを作り浮いているような錯覚するのです。
ヴィーナスの誕生の秘密その3
3つ目の秘密はこの作品がメディチ家の別荘の壁に飾られていたということで、172×278㎝と大作であるためこの作品を近くで見る場合見る人の目線はひざか足元あたりになります。
ヴィーナスの手の下あたりからのぞきこむとヴィーナスが自分の方に迫って見える工夫がされていたと思われます。
(昔のイタリアの宮殿は壁が広いので大作は今の美術館より高い位置に飾られていた。もしくは絵の依頼を受けた時に飾る壁がすでに決まっていた。)
このようにヴィーナスの誕生はルネサンスの歴史学者や文学者の集うサロンで大人気となり、ボッティチェリはフィレンツェで一番人気の画家になったのです。
このヴィーナスの作品は最近イタリアで発見されたものですが、ヴィーナスの誕生のあとに描かれています。

このヴィーナスは頭の真下に足があります。
解剖学的に描かれていますね。
「ヴィーナスの誕生」は現実を無視しています。
神話画とは神の世界ですから、人々に夢を与えなければならない。
それが画家の仕事だったのです。
ヴィーナスの誕生の人気のあまり、ヴィーナスのコピーの依頼があったのでしょう。
ボッティチェリの工房はこの時全盛期を迎えて弟子たちが描いた作品も数多くあります。
でもやっぱり最初に描かれたヴィーナスが一番美しい!!
科学的知識があっても現代人には描けない傑作ですね。
まとめ
いかがでしたか?!
ボッティチェリはレオナルド・ダ・ヴィンチと一緒に若いころ、少しの間ベロッキオの工房で修行していました。
この工房で、2人の偉大な画家が誕生していますが、2人は相反する道を歩んでいます。
線の画家ボッティチェリ、と輪郭線を消し新たな絵画を生み出したレオナルド。
ですが現在、2人の作品は、歴史上最高の名画としてみんなに愛されている。
レオナルドが自然科学的な目を持っていたのに対して、ボッティチェリはまさに現実には見れない、神秘的な理想美で神の世界を
描きました。
この線のスタイルは、時代遅れと言われていても、死ぬまで変えなかったと言います。
新しい時代の絵画は、神の世界を信じていたボッティチェリには関係ありませんでした。
・ゴーギャン 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」
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