ルノワール若き日の愛と苦悩

パリ、リヨン駅からムラン上面に向かって走る郊外電車。

その車内は、すでにパリの華やぎを離れて、どこか土臭い田舎の雰囲気を漂わせている。

この電車に揺られて行く緑の森フォンテ―ヌブローは、今から数百年前、印象派の画家たちが画架を背負ってさまよった青春の森。

若きルノワールが、恋におちた思い出の森です。

フランソワ1世が建てた宮殿で有名なこの森への入口は、フォンテーヌブロー・アヴォン駅。

電車に乗り込む旅行者の大半は、この宮殿が目当ての観光客。

けれど、その人の流れにちょっと逆らって、森の中に点在する村々を訪ねてみると、そこにはのどかなイル・ド・フランスの、優しい静寂の時が息づいている。

まだ名もない若き画家ルノワールたちが魅せられた、あの日のきらめきのままに・・・。

 

きらめく森で出会った17歳の若き恋人、リーズ

1865年、パリの南郊、フォテ―ヌブローの森に隣接した村マルロットは、むせかえるような緑に包まれていた。

24歳になったルノワールは、国立美術学校で知り合った友人バジールやモネ、シスレーたちと、この美しい村にある一軒の宿に滞在して、森ときらめく太陽を描こうとしていました。

春めいていると、バルビゾン、シャイイ、マルロットの宿は絵描きたちで毎年いっぱいになる。

朝、彼らはキャンバスを抱えて森に散っていき、夜になるとそれぞれの友人を訪ねては、芸術論に花を咲かせる。

ルノワールが泊まっていたマルロットの宿は「アントニー小母さんの宿」と呼ばれ、若い絵描きの奇妙な行動も笑い飛ばしてくれる年老いたマダムと、人のいい働き者の女中ナナがいて、居心地のいい宿でした。

ある日、ルノワールはこの宿でジュール・ル・クールという8歳年上の画家と親しくなる。

ジュールは建築会社を営む富裕な家に生まれた元建築家。

彼は、2年前に突然建築の仕事を捨て、画家として歩き始めた。

森の中の宿で知り合って意気投合した2人は、友情を深め、ルノワールは、以前は元帥の館だったジュールの家に出入りするようになる。

陶器の下絵描きという職を捨てて、画家になろうとしていたルノワールの暮らしは貧しく、ジュールの家庭のブルジョワぶりとはあまりにもかけ離れていました。

この裕福な家庭で、ルノワールは、ひとりの女性と知り合い、そのはつらつとした娘と恋におちる。

真っ赤なリボンがよく似合う黒い髪、ひたむきで真面目そうな丸い顔立ち・・・。

その娘リーズ・トレオはこの時17歳。

ジュールの2人目の妻クレマンスの妹でした。

この日から7年、ルノワールはマルロット村に、シャイイ村に彼女を伴って、夢中で描き続ける。

フォンテ―ヌブローの森の岩に腰掛けて、けだるげな表情で射止められた鹿を見ているリーズ、森の小道で日傘をさしてた佇んでいるリーズ、窓辺の鳥かごを優しく見ているリーズ。

ルノワールのキャンバスの中で、リーズは確実に成熟し、魅力的な女になっていく。

ルノワールはそんなリーズを愛していた。

胸躍るフォンテーヌブローでの日々・・・・。しかし、いつまでたっても彼の口から「結婚」という言葉はでない。

愛してはいるけど・・・。

「日傘のシリーズ」で一度はサロン(官展)に入選したものの、絵は全くといっていいほど売れず、ルノワールの暮らしは悲惨なほど貧しかった。

バジールやシスレーのアトリエを転々として、自分の帰るべき部屋も持てないありさま。

おまけに恋よりも、もっと強く彼を捕らえて離さなかったものがあった。

絵を、自分の絵を描き追求することが、ルノワールにとっては何より大事だった・・・・。

1872年4月24日、24歳になったリーズは義兄ジュール・ル・クールの友人で建築家だった男と結婚する。

ルノワールは何もいわずリーズの最後の肖像画を描いて彼女に贈ります。

その1枚に、7年の愛の思い出と、別れの言葉をこめて。

ルノワールは31歳。

以来、リーズは、フォンテ―ヌブローの森で、マルロット村で、燃えるような心で愛した恋人ルノワールに、2度と再び会おうとはしませんでした。

 

未来の妻アリーヌとの出会い、リーズとの別れ、そして・・・

「いつでも街を走り回り、部屋にいても動き回り、動くかしゃべるかし続ける。いったい、彼の心はどこにあるのだろうか」

リーズと別れ、第1回印象派展で世間から激しい反感を買い、それでもくじけずに「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を描いていた30代の兄について、弟のエドモンはこう書き残している。

貧しい職人の家に生まれ、自分自身も13歳の時から職人として下積みの暮らしを体験したルノワールは、生涯、まめな職人らしい、素朴でひたむきな性癖を持ち続けた巨匠でした。

「桟敷席」「ブランコ」「サーカスの少女」「シャンパンティ夫人と娘たち」・・・・。

次々と名作を描き続け、39歳になったルノワールは、、ある日アトリエのすぐ前にあったレストランで、ひとりの娘と知り合う。

あとに生涯の伴侶となるアリーヌとの出会いでした。

アリーヌは、暇があるとルノワールのためにポーズをとった。

2人はほとんど戸外で、特にセーヌ河畔で過ごすことが多かった。

パリの北西の村シャトウにあったレストラン「フルネーズ」が2人の逢引の場所。

ルノワールは、川風に白いヨットの帆が揺れるのを眺めたり、このレストランでワイングラスを傾けながら、のどかにおしゃべりを楽しむ人々を見るのが好きでした。

それは10数年前、フォンテーヌブローの森でリーズを描いたときの思い出を彷彿させた。

アリーヌを得て、明るい幸せに包まれていた日々でした。

「自分には、描いたりデッサンしたりするすべてが判っているのだろうか」

光そのものを描き続けたモネと、ルノワールは、印象派という新しい絵画運動の渦中にありながら、常に「人間を描くこと」に興味持ち続けていました。

人間を描こうとすればするほど、印象派の手法では、その形が光の中に溶け込んでほやけてしまう。

豊満な女の肉体の美しさが、光の中でぼやけて存在感をなくしてしまう。・・・・

「印象派を追求すればするほど、自分が袋小道に入ってしまい、どうしていいかわからなくなってしまった」

後に、ルノワールは当時の自分をこうふり返っています。

 

あの人は、絵を描くために生まれてきたのよ

ルノワールは悩み、いらだち、疲れ果てる。

1881年、40歳になった彼は、友人の画家コルデーと一緒に旅に出ます。

かつてのドラクロワを魅了したというアルジェリアへ向かったのです。

それからフィレンツェ、ローマへ、マルセイユへ。

最後にエスタックに住んでいたセザンヌを訪ね、パリに戻った時には1年が過ぎていました。

長い空白だったにもかかわらずアリーヌは、パリでルノワールを待っていた。

この旅行は、結果的に、画家としてのルノワールには、何の解決も与えてくれなかった。

この旅が彼に残したもの、それは人生の転機でした。

41歳になって、ルノワールはアリーヌとの結婚を決意する。

翌年、彼は10年も前から印象派に着目していた画商デュラン・リュエルの依頼で、「都会の踊り」「田舎の踊り」「ブージヴァルの踊り」の3部作を完成させる。

「ブドウの木がブドウ酒をつくるために生えてくるように、ルノワールって人は絵を描くために生まれてきたのよ。上手くても下手でも、成功してもしなくても、あの人は描いていなければならないのよ」

23歳の、単純で、しかし深い愛の本質を知っている「画家の妻」の誕生でした。

 

44歳で父親に。巨匠への道を歩み始めたルノワール

リーズとの別れから10年余。

アリーヌとの結婚は、画家ルノワールに「心の平和」を与えてくれた。

ブドウの木に必要な手入れは、充分に知っていたブドウ農家の娘アリーヌは、画家である夫を悩ますものは何であれ取り除いてやり、適当に側にいたり消えたりする、そんなことが夫に対する自分の役割だと心得ていました。

1885年3月21日、44歳でルノワールは父になる。

長男ピエールが生まれたのです。

この愛くるしい赤ん坊の誕生が、彼の生活を変えた。

彼は家族のために生き、夢中で息子と妻をデッサンする。

こうして、印象派としてスタートしつつ悩み、苦しみながら追求してきた新しい技法の糸口を、ルノワールは発見していく。

アリーヌも登場する前途の「踊り」3部作は、転換期の作品といっていい。

1892年、デュラン・リュエルの画廊で開かれたルノワールの大展覧会は、大きな成功裏に終わり、彼は「印象派の巨匠」となっていきます。

50代になり、ルノワールの若き日の愛と苦悩の彷徨は、名実ともに終わりをつげた。

56歳から20年以上もリューマチに苦しみ、絵筆を持つことさえ不自由になりながら、最期の昏睡状態のベットからデッサン用の鉛筆を求めたというルノワール。

人生を、女をバラ色に染めあげて、輝く色彩の中で永遠の命を謳いあげた画家ルノワールは1919年12月3日、78歳の冬、南フランスで永遠の眠りについた。

太陽にきらめく広大な森フォンテーヌブローは、若き日の貧しい画家の恋の思い出を静かにのみこんで、今はもう何も語らない。

フォンテーヌブローの森はどこまでも緑に輝いている。

 

まとめ

若き日の愛の苦悩と、貧しい画家生活をしていたルノワールでしたが、1人の女性との出会いで転換期をむかえ、彼の生活は今までとは逆の幸せをつかみ取り、画壇では大成功をおさめています。

人生の苦痛と闘いながら、絵画への情熱を燃やした画家は何があってもあきらめませんでした。

自分の道が正しいと自信を持ち、探究しながら新しい絵画の世界を広げていったルノワールは、現代の我々と同じ1人の人間として尊敬するべき画家だと思います。

自分の夢を諦めないで実現させるのは、たゆまぬ努力と強い精神が必要だということをルノワールは教えてくれている。

・「ホイッスラー」異国のアメリカ人

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ABOUTこの記事をかいた人

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。