「カナレット」ヴェネツィアの風景画家

ヴェネツィアに生まれたカナレットは、英国からの旅行者向けにヴェネツィアの景観を描いて名を高めました。

カナレットほどヴェネツィアの建築の美しさ描ききった画家はほかにいません。

30代から40代のカナレットの最盛期には注文が殺到し、そのため多くの二流画家が出来の悪いコピーを描いても売れていたといいます。

カナレットは、生地でも賞賛されましたが、おもなパトロンは常にイギリス人でした。

彼は1746年から10年間イギリスで過ごし、テムズ川やカントリー・ハウスの景観を描いています。

カナレットはイギリスの水彩画派たちに大きな影響を与え、その名声は長くとどろきました。

年譜

  • 1697年 ヴェネツィアに生まれる
  • 1720年 ローマ旅行
  • 1730年 「キリスト昇天祭の日のブチントーロの帰還」を描く
  • 1735年 「プロスペクトゥウス・マグニ・カナリス・ヴェネティアルム(大運河の眺望)を出版
  • 1741年 オーストリア継承戦争勃発。 このころベロットとパドヴァへ旅行
  • 1746年 イギリスに渡る
  • 1750年 ヴェネツィアに戻る
  • 1751年 ザッテレに家を買う。 再びイギリスに渡る
  • 1756年 ヴェネツィアに戻る
  • 1763年 ヴェネツィア絵画彫刻アカデミー会員に選出される
  • 1768年 膀胱炎で死亡

 

幼少時代の「カナレット」

カナレットとして知られるジョバンニ・アントニオ・カナルは、1697年10月28日、ヴェネツィアに生まれました。

一家の住まいは、カンポ・サン・リオの近くにあり、のちの彼の絵に多く登場するリアルト橋からさほど離れていませんでした。

父のベルナルド・カナルは芝居の背景画家で、少年カナルがその技術を学んだのは父からでした。

ベルナルドは彼に不思議なイリューシンの効果を教え、また、遠近法の基礎をたたきこみましたが、これが大きく効を奏します。

たとえば、彼らはヴェネツィアでのヴィヴァルディのオペラのために背景画を制作し、1720年ごろには2人でローマに赴いて、スカルラッティのオペラの舞台装置をデザインしました。

このときから息子は、小さなカナルを意味する「カナレット」と呼ばれます。

ですが、カナレットの野心は舞台にとどまらず、ローマで建造物や古代の廃墟をその場でスケッチして、再びヴェネツィアに戻ったときには景観画家になる決意をしていました。

 

「カナレット」とヴェネツィアの絵画

カナレットは、サン・マルコ大聖堂や壮麗な宮殿から裏町のみすぼらしい家にいたる、あらゆるヴェネツィアの建造物を愛しました。

身近な光景や、船が運河を行き交う毎日の情景が根っから好きだったのです。

初期の作品の1つ「石工の仕事場」では、崩れた建物の外観、はげ落ちた漆喰、落書き、洗濯物、雲行きのあやしい空などをためらわず自由にキャンバスに写し取り、大きく描き出しました。

カナレットにとっては、これがありのままのヴェネツィアの姿でした。

こうした作品によって、カナレットの評判は急激に広まり、1725年、ルカから来た商人ステファノ・コンティがコエクションに新しい作品を加えたい意向を示すと、画商はカナレットに依頼するように勧めました。

カナレットはコンティのために4点制作しましたが、その1つが「サン・ジョバンニ・エ・パオロとスクオーラ・ディ・サン・マルコ」で残り3点は、大運河の風景でした。

カナレットは報酬として、90ゼッキーノ(当時約45ポンド)を受け取りました。

これは大変な額で、わずか数年のうちにカナレットは驚くほどの名声を築き、自分の言い値で代金を請求できるまでになっていきました。

しかし、カナレットにとって最良で、最も信頼できるパトロンは、イタリア人ではなくイギリス人でした。

 

イギリス人に大人気となった「カナレット」

オウエマン・マックスウィニーは、劇場の経営から英国の貴族を相手に絵の売買まで、手広く扱う人物でした。

ヴェネツィアに住んでいた彼はローマから戻ったばかりのカナレットと会い、複数の依頼をしました。

そのなかでも1726年ごろ、マックスウィニーはカナレットに小さな油彩の地誌画を、緊密感があり、なじみやすいスタイルで銅版画にするようにすすめます。

この絵は、澄み切った青い空の下の光り輝くヴェネツィアというなじみの光景で、英国の紳士たちがグランド・ツアーみやげに買うのを狙っていました。

そして、その狙いは的中します。

また、ヴェネツィア在住のもう一人のイギリス商人で画商でもあったジョウジフ・スミスは、こうした銅版画や油絵が土産物として将来性があることにいち早く目をつけ、頻繁にカナレットと接触して作品をイギリスに送るための額装、荷造り、輸送を効率よくこなす手配をしました。

1730年代には、カナレットの作品の大半はスミスによって仕切られていたようです。

ですが、スミスは中間業者としてだけではなく、カナレットの絵そのものを純粋に高く評価し、自ら収集しました。

そしてサン・マルコ広場とその周辺を描いた壮麗な6連作をはじめ、数多くの作品を依頼しています。

1762年、スミスが自分のコレクションを国王ジョージ3世に売却したとき、そこにはカナレットの油彩50点と、150点近い素描が含まれていました。

この時期カナレットへの注文は、ヴェネツィアに訪れるイギリス人がほとんどで、客の中には金に糸目をつけない者もいて、ベッドフォード公は油彩22点を購入したし、サー・ロバート・グレンヴィル・ハーヴィーは21点所蔵していました。

スミス自身は、大運河の連作12点と、ヴェネツィアの祝祭を描いた2点を依頼しています。

これらの作品は、アントニオ・ヴィセンティー二によって彫版され、1735年に「ヴェネツィア大運河の眺望」として出版されました。

これほどの仕事をかけていたカナレットは、助手を必要としたと考えられます。

当時健在だった父ベルナルドと、のちにカナレットに匹敵するほどの風景画家となった甥のベルナルド・ベロットが手助けしたのはほぼ間違いありません。

しかし、カナレットが弟子をかかえていたことを裏付ける証拠はありません。

 

注文の減少

1740年ころには、カナレットはひじょうに有名でしたが、運命の曲がり角にさしかかっていました。

1741年、オーストリア継承戦争が勃発し、ヨーロッパ旅行がしにくくなり、貿易が縮小され、ヴェネツィアを訪れる観光客の姿は少なくなっていました。

絵の注文が減り、カナレット自身も新鮮な着想と新たな題材の必要に迫られていました。

才能が商品化されるにつれ、ヴェネツィアを描く筆使いはありきたりな機械的になっていきます。

ベロットとともに旅に出かけたカナレットは、ブレンタ川をさかのぼり、パドヴァまで行き周囲の田舎風景や川岸に点在するヴェネツィア人のヴィラをスケッチしました。

それはテムズ川沿いのイギリス貴族の別邸のようでした。

こうした素描は、ヴェネツィアに戻ってから大きな油彩に仕上げられたし、幻想的建築画の下絵にも使い、1744年に素描を使った叙情的なエッチングの連作も出版しています。

 

「カナレット」ロンドンに渡る

1744年3月、父が卒中で亡くなり、同月、フランスがイギリスに宣戦布告したことで、注文が途絶えカナレットは工房を閉じて1746年仕事を求めてロンドンに渡る決心をします。

古くからのパトロンはイギリス人であったし、彼の名声はイギリスにとどろいていました。

ですが、9年間をロンドンで過ごしたにもかかわらず、この滞在はうまくいったものとは言えなかったのです。

イギリス到着した当初は注文が多くパトロンの依頼を受けて、テムズ川や新しく架けられたウェストミンスター橋の風景を数点制作して、初めは成功したものの、後に型にはまった新作は人気がなく依頼者を失望させます。

1750年、カナレットはヴェネツィアでの事態が好転することを願って同地に戻り、翌年、ロンドン滞在中にやりくりした貯金でザッテレにささやかな家を購入しましたが、依頼はほとんどなく、再びロンドンへ渡ります。

ロンドンでは、金持ちの奇人のため6枚の油彩画を制作して高収入を得ます。

しかし結局、ロンドン滞在は経済的に成功せず、1756年にヴェネツィアに引き上げました。

 

 

晩年

晩年の作品として知られるものはわずかしかありません。

ほとんどが小さな絵で、初期の油彩やエッチングあるいは有名になった版画の焼き直し、そして観光客相手に描いたカプリッチオでした。

1763年、カナレットは、以前拒絶されていたヴェネツィア絵画彫刻アカデミーの会員に選出され、同時にコレッジオ・ディ・ピットリーの院長となります。

ですが、これらはヴェネツィア人にとってはたいした意味をもたなかったし、彼らはカナレットを支援することはなく、その真の才能を評価することもありませんでした。

1768年4月19日、カナレットは膀胱炎で死亡しました。

生存中は、財産を築いたと噂されていたが、ザッテレの家財とアトリエにある何枚かの絵を除けば、未婚の妹たちに残された遺産は、ベットと着古した衣類だけでした。

 

正確さと詩情

移り行くヴェネツィアの風景

カナレットは、ヴェネツィアをあるがまま描き、都市景観の移り変わりを記録しました。

サンマルコ広場の新たな舗装、宮殿の再建と、何もかもヴェネツィアの自然の光と雰囲気で満たしました。

カナレットは、生来ヴェネツィアに愛着を示したにもかかわらず、その絵画が同胞のヴェネツィア人に購入されることはまれでした。

おそらくこれは、地元の人々が、ヴェネツィアを追憶する絵を必要としなかっただけでなく、ヴェネツィアの景観画は、歴史画、宗教画はもちろん風景画や人物画と比べてさえ、正当に評価されなかったためでした。

しかし当時、景観画家になることはきわめて勇敢な選択でしたが、カナレットの貢献により、彼の晩年には、このジャンルの地位はかなり向上しました。

カナレットの影響を受けたのは、イギリスの地誌画家たちです。

カナレットは、自由な筆使いと厚塗り、極端な遠近法と光と影の劇的が対比を用いず、スナップ写真のような手法を採用しました。

これは商売上大成功をおさめた要因で、色彩はより明るくなり、画面はより滑らかとなって、景色はより現実的に見えるようになりました。

 

自由な改変

マックスウィニーは、「カナレットのみごとさは、目にしたものをそのまま描くことにある」のであり、まるでその場で描いたように見えると書いています。

実際は、カナレットはスケッチはしたが、その場で描いたことは一度もなかったようです。

作品はアトリエで構成され、構成するにあたりカナレットは想像力を駆使し、自由に改変しました。

カナレットは、装飾的な彫刻の細部、船の帆柱や店の日除けの描写には細やかな注意を払いましたが、おもな対象は劇的効果を狙って、自由な形を変えたり、構成を変えたりしました。

 

注釈つきスケッチ

カナレットは、しばしばメモを書き込み、色彩、色調、材質を記入するとともに、宮殿の名前や、スケッチした店が八百屋なのかくず物屋なのかについてまで書きとめています。

地面や水面に一条の光線があたっている部分にはイタリア語で太陽を意味する「ソーレ」と書き込むこともありました。

同じ場所に繰り返し足を運び、都市景観の変化に遅れをとらないように心がけていました。

カナレットの絵には、18世紀ヴェネツィアの社会生活や経済生活の豊かな情報が含まれています。

 

光学装置

カナレットのいくつかの作品では、細部の描写があまりにも正確なために、定規やコンパスといった普通の道具のほかに、しばしばある種のレンズかカメラが使われたのではないかと要られてきました。

おそらく、彼は「カメラ・オブスクーラ」をもっていたと考えられます。

これはレンズと鏡のついた単純な箱で、上面のガラスに像が写り、それをなぞるのです。

しかし、カメラ・オブスクーラからは、基本的に構図を得たにすぎず、カナレットの作品のほとんどは、それよりずっと複雑な構図になっています。

この装置は、広い視野をおさめた、あるいは魚眼レンズでとらえたようなヴェネツィアの景観を構成するには役に立たなかったはずです。

 

名画「キリスト昇天祭の日のブチントーロの帰還」

カナレットの最盛期にあたる1730年ころに描かれたこの作品は、彼の最も大きな作品の1つであると同時に、最も手のこんだ作品といえます。

画面には、毎年、キリスト昇天祭の日に行われるヴェネツィアとアドリア海の「結婚」を祝う重要な祝典が表されています。

これは古くから行われてきた儀式で、ヴェネツィアの制海権を祝うために始められたが、カナレットの時代には、おもに観光客向けの催しとなっていました。

儀式は、ブチンロード(御座船)に乗った総督がリドの入り江口まで行き、そこで金の指輪を海に投げ入れるというものでした。

この絵では、儀式を終えたブチントーロが船着場に戻ってきたところが描かれています。

 

まとめ

カナレットは当時ヴェネツィアを代表する画家として有名でしたが、現在ではイタリアを代表する風景画の巨匠です。

カナレットの風景画の特徴は、当時としては珍しく、カメラのレンズでのぞいて描いたようなリアル感があります。

フェルメールの「デルフトの眺望」と同じく、レンズによる光学的な要素が目立ちリアル感がある。

建築の知識が正確であり、信じられないほど細部を描写していることから、その遠近法はヴェネツィアの風景をどの角度からでも自由に描く天才的な才能が大きく賞賛されています。

多くの人物を配置することで、風景をより広い世界として見せていることも、カナレットの風景画の特徴といえます。

彼の風景画は、後のイギリス風景画に大きな影響を与えている。

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taesun

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。