ともにひざまずき、ひとかたまりの花園のなかで抱き合う男女の姿。
薄明りの中、からみつくように2人を包む黄金の光と、華麗な模様。
やがて黄金の光は、女の足元から孔雀の尾のようにこぼれ落ち、男は女を抱きしめ、口元に情熱的にキスをする。
女性の表情には、恥じらいが浮かび、さらに男の愛情を拒むような素振りさえ見える・・・・
甘い官能的な世界を描いたクリムトの代表作「接吻」には、性の矛盾と不思議な緊張感がみちている。
「接吻」の金箔に込められた永遠の愛
この絵が発表された1908年、クリムトは創作活動においても、また私的生活においても最も充実した時期でした。
つねに自由な発表の場を求めたクリムトは、この年新たに「総合芸術展」という理想的な機会を得て、意欲に燃えていました。
その第1回展では、クリムトには珍しく開会のあいさつまでしたというし、第二回展では「接吻」をはじめとする16点もの作品を出展した。
一方で生涯の恋人エミーリエ・フレーゲとの恋愛も、静かな落ちついたときを迎えていた。
そうした精神的充実感が、この一枚の絵に一層の輝きと「永遠の生命」を与えたのです。
そしてこの「永遠の生命」こそがクリムトが追い求めたテーマ、「死と隣り合わせにある愛」だったのです。
「接吻」政府に買い上げられる
性の悦びと、その隣り合わせにある死の影を、金箔と華麗な装飾でおおい、甘美な作品に仕上げた「接吻」。
この絵は、エロティックな表現でつねにセンセーショナルな話題を巻き起こしたクリムトの作品には珍しく、発表と同時にオーストリア政府に買い上げられ、現在の作品にはオーストリア美術館に納められた。
「接吻」はエロティックなだまし絵
抱き合う2人は人体は、一見、豪華で華麗なビザンチン風のモザイク文様に埋められて見えますが、ひとたび見方を変えるなら黒い長方形は男性器を、色とりどりの円形は女性器を記号化したものに見えてきます。
この装飾を、エロティックな性の暗示ととらえる人々も多いようです。
「ユデット」 1901年
「ユデット」とは、祖国を救うために敵将ホルフェルネスと一夜を共にしてその首をとった、ユダヤ民族の愛国の女傑。
一般には、「悪徳に打ち勝つ美徳」の例として描かれるが、クリムトの目には「運命の女」として映った。
半ば開かれた目差しや口元によって、そのエロティックな魅力を描き出している。
たしかに、クリムトの他の作品の多くに、黒い長方形、カラフルな円形が思わせぶりに登場しますし、男女を包む黄金の光のシルエットも男根のイメージを誘う。
また、最近のX線透視によると、クリムトの描くほとんどの人物たちにはあらかじめ克明に性器が描き込まれ、その上に衣装などが描きこまれていることが判明。
クリムトはなぜそこまで「性」にこだわったのでしょうか。
そこには、単なるエロス以上の何かが潜んでいる。
「接吻」のエロスの奥に秘められたロマン
クリムトの絵画の主題は、女性あるいは女体。
彼の描くエロスは、ある意味ではきわめて通俗的な、セックスのエロスです。
生気のシンボルが渦巻く中、男性の腕の中で恍惚とする女性・・・・・・
しかし、クリムトを芸術家たらしめているのは、そういう官能の場面を華麗な装飾で飾り立てたからではない。
そこに、彼の世界観と冒険が秘められていたからです。
クリムトは女性をあくまでもエロティックな存在として描こうとしていますが、同時に彼は女性たちから個性をはぎとってしまった。
彼女たちは、恋愛の成就として描かれているのでしょうか?
クリムトの絵画の女性は、恋に心奪われながらも不思議とクールです。
「歓喜(ベートーヴェン・フリーズ部分)」 1902年
1902年、分離派館ではライプチヒの彫刻家マックス・クリンガーのヴ「ベートーヴェン像」をたたえる記念碑が催さえれた。
この時マーラーは「ベートーベン・フリーズ」で一室の壁を飾った。
右の部分は、第九の第四楽章「歓喜の歌」をイメージしたもの。
「喜びよ、神々の美しき火花よ・・・・・」
と天使が合唱する横に、最後の詩「この接吻を全世界に」を象徴する全裸の男女の接吻シーンが描かれ、不道徳極まりないと非難を浴びた。
クリムト40歳の円熟期を示す一作。
肉体の触れ合いは、互いの奪い合いなのかもしれません。
つねに「性」と「死」を同時に描くことが、画家クリムトのエロス、ロマンであり、その矛盾が作品全体に緊張を生み出しているのだと思います。
「接吻」のモデルたちと普遍的な美
驚くべき多様性をもって女性を描き続けたクリムト。
彼にとって女性とはいったい何だったのでしょうか。
彼にはエミ-リエ・フレーゲという、協力し、尊敬し合う理想的なパートナーがいましたまた。
また、生涯を通して恋募ったアルマ・マーラー夫人もいた。
評判の肖像画クリムトに、自分を描かせようとする貴婦人たちもいて、彼のアトリエには寓意画、神話画のモデルとして多くの女性たちが出入りしていました。
クリムトのアトリエはハーレムのようで、数十人のモデルがアトリエの隣の部屋にたむろし、全裸で歩きまわる女もいれば、抱き合った遊びにふける者たちもいた。
その多くは娼婦であったという。
アトリエでの油絵画の制作に疲れると、隣部屋で待つ女たちのもとにゆき、時に露骨で精密な素描を行い、時に性の楽しみにふけった。
おそらく「接吻」のモデルも、このうちの誰かだったかもしれません。
このハーレムに集まったモデルたちの、様々な肉体をつなぎ合わせて生み出された女性像が、女神のような普遍的美しさの秘密なのでしょう。
「水蛇」 1904~07年
羊皮紙に水彩と金箔で描かれた、人魚のように見える2人の女性。
当時は「女友達」とよばれ、女同士の同性愛を描いたものという説も。
「接吻」と同じように、ここにも女性器を象徴するかのような円形のうろこが、下半身全体をおおっている。
女たちを美しく描く「演出家」クリムト
クリムトは自分の作品について、また自分自身の生活について、ほとんど語ることがありませんであいた。
「私について何かしりたいと思う人は、私の作品を見てほしい」という言葉が彼の信条。
その作品には多くの魅力的な女性が登場します。
しかし、一人一人は個性をもたず、普遍的な美をそなえた「男の運命を狂わせる女性」すなわち「運命の女」として描かれています。
その女たちを、金箔で絢爛と飾り立てるクリムト。
彼の絵の特徴である豪華で繊細な模様は、金細工師の息子という家庭環境と、クリムトの持って生まれた女性的な感性によるこころも大きいでしょう。
すべての女たちを、性のシンボルとして描いた彼の姿勢は、一見女性を冒とくしているかのようにもとれます。
けれどそこには、むしろ生命を受け継いでいく女性に対する尊敬が込められているのです。
クリムトによって描かれた女たちは皆、だからこそ美しいのです。
そんな「美の演出家」クリムトに描かれたいと、アトリエを自ら訪れる社交界の貴婦人たちも多かったようです。
名画「接吻」は絵画史上どのような意味をもつのか
22歳の若さでブルク劇場の天井画を手がけたクリムトは、伝統的な装飾壁画で評判となり、数々の世俗的栄誉にも輝いた。
しかし、父と弟を相次いで亡くした後、1900年完成したウイーン大学講堂の天井画(焼失)は、裸婦の群れがうごめくエロティックなものでした。
大学側はこの作品に嫌悪を示し、引き取りを拒むが、クリムトはひるまなかった。
1897年に先鋭的芸術集団「分離派」を結成、7年後にはそれさえ脱退し、前衛の道を行きます。
「接吻」を発表した1908年ごろ、クリムトは気迫、技量ともに頂点に達し、その金箔の手法とあいまって「黄金の時代」と呼ばれています。
壁画「ベートーベン・フリーズ」(1902年)にも見られる接吻のモチーフは、クリムトにとって「永遠」への祈りであるとともに、重要なテーマでもありました。
まとめ
現在では、ファッションやインテリアとして取り入れられている人気絵画。
「接吻」にはクリムトの芸術の「永遠の美」が描き込まれていて、そこには愛と恋、エロスを通した人間の普遍的な永遠のテーマを表しています。
クリムト絵画は、ビザンティン芸術を感じさせる古代的な方法を取りこんで、金箔芸術を再びよみがえらせたところに大きな評価もあります。
現在は、テンペラ画以外にあまり使われていない金箔の美しさを、クリムトの絵画で楽しめることができる。
クリムトのヨーロッパ絵画に新しい表現を広めた功績は、アジア絵画と共通のものがあり、その愛のテーマは世界で愛されています。
・ゴーギャン 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」