1901年、セザンヌは故郷のエクス・アン・プロヴァンスの郊外に1軒の家を建てた。
そしてその2階のアトリエは、制作中の大作を出し入れするために、大きな窓をつけました。
当時60代で病気がちだったセザンヌが、アトリエの窓を特注してまで制作に打ち込んだ大作。
それが「大水浴」でした。
描かれた「額縁の中の楽園」
それまでセザンヌは約30年にわたって、60点以上の水浴図を制作。
「大水浴」と名付けられた作品だけでも3点残し、思い出深い水辺を舞台に、セザンヌは試作を重ねています。
彼にとって自然や人間は、画面を組み立てる素材で、大切なのはその構造と色彩だったといわれる。
「大水浴」はそんなセザンヌの特徴がよく表れた傑作です。
浴女たちのポーズは不自然で、それまでのヨーロッパ絵画に描かれてきた肉感的な裸体とは一線を画している。
しかし、絶妙なバランスで描かれたこの「大水浴」には不思議な安定感があり、ピカソやマティスなどの後世の画家たちに多大な影響を与えたこの一枚を、ロンドン国立絵画館は1964年、フランスの個人収集家から購入した。
価格はセザンヌ絵画のそれまでの最高額50万ポンドでした。
水辺の風景に親友ゾラの思い出を託して
水浴というテーマは、特に珍しいものではない。
実際、同時代の画家仲間ルノワールも多くの水浴画を制作している。
だが、セザンヌにとってこのテーマは特に私的な意味を持っていました。
「大水浴」1898~1905年
3点の「大水浴」の中で最も大きいこの作品は、一連の水浴図の到達点。
安定した構図、静寂な色調などがきわだっており、おだやかな美しさが漂っている。
「川で一日中過ごし真っ裸で焼けつけるような砂の上で体を乾かしてはまた川に飛び込み、僕たちはまるでそこで生きているようだった」
これは小説家エミール・ゾラが45歳で発表した小説「制作」の一部です。
中学時代に友情を結んだセザンヌとゾラは、当時しばしば、故郷エクス・アン・プロヴァンスのアルク川で水遊びをした。
まだ、人生の厳しさも創作の苦悩も知らない少年たちは、若々しく弾む心で南仏の美しい自然を受けとまた青春のひとときは、よほど忘れがたいものだったらしい。
2人の思い出を刻んだアルク川
セザンヌはゾラあての手紙に何度もアルク川の思い出を書いています。
そして、その思い出をゾラは小説の中に織り込んだ。
皮肉なことに、この「制作」のある部分が47歳のセザンヌを傷つけ、1886年以後、2人は絶交状態となる。
だが、セザンヌはあの少年時代の、陽の光と木々のざわめき、笑い声とともに飛び散る水のきらめきを忘れず、それどころか一層、水浴というテーマに没頭していきました。
彼にとって、「水浴」は戻りえぬ青春の再生であり、心の楽園だったからです。
「5人の裸婦」 1885~87年
女たちは三角形を作るようにバランスよく配置され、これが「水浴する女たち」の右部分に展開される。
仲直りすることもないままゾラは16年後に事故死します。
深い思い出にふけりつつ63歳のセザンヌは、さらなる意欲をもってこの作品に打ち込み、ついに傑作を誕生させたのでした。
20世紀絵画への記念碑としての「大水浴」
現在、3点残されている「大水浴」は、ロンドン国立絵画館とフィラデルフィア美術館、そしてアメリカのバーンズ財団がそれを1点所有している。
3点の「大水浴」はいずれもセザンヌの特徴を、一番よく表しているのがロンドン国立絵画館の「大水浴」。
描かれた顔のない人々、そして不自然なポーズは、それまでの美しい女性たちが並ぶ群像画とは、異なる世界を表現しています。
「大水浴」 1900~05年
計算された構図、人体を幾何学的形態に置きかえてしまうなど、斬新な試みが見られる。
これらの試みがピカソやブラックのキュビズムを生んだ。
また、この作品は、19世紀末を生きた画家セザンヌが、20世紀絵画に多大な影響を与えた傑作で、キュビズムに始まる近代絵画の序章ともいえる作品でもある。
内気で、女性のヌードモデルを使えなかったセザンヌは、モデルなしで水浴図を描いたと言います。
彼は、若いころに描いた数枚のヌードデッサンと、粘土の模型なそをもとに一連の水浴図を作成したのでした。
名画の中に「人間セザンヌ」がほのかに見える。
「大水浴」は歴史的にどんな意味をもつのか
近代絵画の父と呼ばれるセザンヌは、斬新な視点や技法を提示して、後世の美術世界に大きな影響を与えた。
セザンヌ以前、19世紀ヨーロッパで描かれた裸体画は、理想とする女性ヌードを官能的に表現したものでした。
そして、それを描く言い訳に、女性を古典上のの人物になぞらえたり、異国趣味でまとめ上げたりしていました。
たとえばアングルは、「トルコ風呂」と題した作品でエキゾチックに裸体を表現している。
しかしセザンヌは、裸体に特別な意味を持たず、肉体をリンゴやオレンジと同じように扱った。
そして人の体は「実物そのまま描かなくてよい」ということを作品上で示しました。
この発想に刺激され、20世紀のヨーロッパ絵画は大きな転機を迎える。
「大水浴」1894~1906年
3点の大作は並行して制作され、中でもこの作品は最初に描かれたものと言われている。
ピカソやブラックは「自然を円筒形と球体と円錐形に扱い・・・・・」というセザンヌの言葉を実践し、キュビズムを展開。
なかでもピカソの「アヴィニョンの娘たち」は直接キュビズムにつながる傑作となりました。
セザンヌが一人で行った実験は、20世紀に大きく開花したといえます。
まとめ
セザンヌの代表作「大水浴」の特徴は、ごく初期を除いては、男女ともに描かれることがなかった。
また、男の水浴図では比較的垂直の線が強調され、女の水浴図では三角形の構図が用いられているのが特徴の一つです。
後半には、人物と風景画溶けあうようになり「大水浴」では、ピラミッド形に置かれた群像が、見事に自然と一体化しています。
このように、セザンヌの絵画は画面上で溶け込み、色彩の配置によるコンポジションになる。
後にキュビズムや抽象絵画では、セザンヌの行った実験をさらに分解して、あらゆる理論が組み込まれていきます。
だが、この「大水浴」の根本的な良さというのは、セザンヌの個人的な「青春の思い出の記録」にあるのではないでしょうか。
そこに多くの人たちを、魅了する秘密が隠されている。