19世紀最大の画家、近代絵画の父とまで呼ばれるポール・セザンヌ。
しかし、50代半ばまでの彼の人生は、苦悩と絶望の連続だった。
そんな彼の孤独な心をなぐさめ創作意欲を刺激し続けたもの。
それは、故郷エクス・アン・プロヴァンスの太陽であり、
風に揺れる草木であり、サント・ヴィクトワール山だった。
成り上がりの銀行家の息子
セザンヌがエクスのオペラ街28番地のアパートで産生をげたのは1839年1月19日。
父親は一介の帽子職人から身を起こし、
ついにはエクスでただ一軒の銀行のオーナーとなった立身出世の人でした。
すべての価値を銀行で計り、家庭では暴君だったという。
一方、彼の母親は、そんな夫に逆らうことない邸淳従順な女性でした。
セザンヌは威圧的な父親におびえ、母のスカートのかげに隠れるようにして育っていった。
ある日、5歳の少年は壁に絵を描いて遊んでいました。
それを見た父親は知人に、「おお、これはミラボー橋じゃないか。よく描けているな」と感心した。
母親は喜び、この子は立派な画家になるかもしれないと思いましたが、
息子が跡を継ぐことを望んでいる夫に、そんなことは言えなかった・・・。
小学校に上がったセザンヌはコツコツと勉強する優秀な生徒でした。
引っ込み思案せいか一人で何かをするのが好きで、
特にお気に入りの遊びは、デッサンをすることだったようです。
エミールゾラとの深い友情
13歳のセザンヌが入学した寄宿制の中学にひとりのいじめっ子がいた。
1歳年下のその少年は父を亡くし、貧しく、しかもパリ育ちなので、
地元の少年たちは彼を仲間はずれにし、からかっていました。
それを見かねて、少年に声をかけた生徒がいた。
それは、、セザンヌでした。
いつもビクビクしておとなしいセザンヌが?!
「裏切者」のセザンヌは、たちまちゲンコツをみまわれてしまいます。
その翌日、少年は、はにかみながらセザンヌに感謝の気持ちを込めたリンゴを差し出した。
これが将来の天才画家ポール・セザンヌと小説家エミール・ゾラの友情の始まりでした。
2人はもう孤独ではない。
心通わせる友を見つけた2人は、楽しみながら競い合って勉強し、学期の終わりには優等の小品を多く手にします。
夏休みは彼らの天国でした。
自然のなかを駆けまわり、暑い日には街の南の谷間を流れるアルク川まで出かけては、素っ裸で水浴遊びをする。
カエルやウサギを追い、疲れうと並んで土手に頭をのせ、水の中に横たわる。
見上げれば南フランスの空はどこまでも青く澄みわたり、雲が悠々と流れていく。
視線をすこし下げれば、ゆるやかな丘陵、そして糸杉のみずみずしい緑が太陽を映して輝いている・・・。
2人の少年は、自然の大きなふところに抱かれながら、お互いの将来を語り、夢を育てていました。
やがて、成長したセザンヌとゾラに人生の岐路が訪れます。
1858年、貧窮したゾラ一家は、思い出のクエスを後にパリへ。
セザンヌは19歳になっていた。
この年、セザンヌは父の意思により大学の法科へ進みます。
しかし、法律の勉強をしながら、彼は改めて悟る。
「本当にしたいのは絵を描くこと。僕は描きたいのだ!」その気持ちをセザンヌはゾラへの手紙に綴ります。
親友に会うためにエクスに戻ったゾラは言う。
「なんとか父上を説得するのだ。そしてパリに出てくるべきだ」。
セザンヌは勇気をふりしぼって父に訴えたが、
もちろん父は聞く耳を持ちません。
くじけそうになるセザンヌに、ゾラは何通もの手紙で勇気づけます。
「とりあえずは頑張って法律の勉強をし、父上を満足させるんだ。
そしてデッサンの勉強も続けるんだ。とにかく一生懸命にね」
ゾラの言葉に励まされ、セザンヌはひたすら描く。
デッサン教室で、美術館で、屋外で・・・。
こうして、ついに父は息子にパリに行くことを許すこおになります。
この時、セザンヌはすでに22歳。
父を説得し始めてから3年の月日が過ぎていました。
「ああ、これでパリに行ける」。
「輝かしい未来が僕を待っている!」
長く苦しく不遇時代が幕開け打ちのめされる
1861年、パリは大通りを作るために掘り返され、
夜には夜は伊達男や浮気な女たちであふれかえっていた。
「なんと騒々しく、落ちつかないところなんだ」セザンヌは眉をひそめる。
画家の卵たちとはなじめず、絵の勉強も進まない。
パリに来さえすれば、何もかもうまくいくはずだったのに・・・・・
セザンヌの期待は裏切られ、過酷な日々が続くことになります。
国立美術学校の入学試験に落ち、25歳で初出品した官展での落選は30代まで続く。
知性や教養を隠してわざと粗野な振る舞いをするセザンヌ。
そんな彼にとって心の支えは、変わらぬ友情を示してくれる親友ゾラだけでした。
そしてセザンヌ30歳の時、もう一人の支えが登場します。
絵のモデルとして出会ったオルタンス・フィケは、ブロンドで哀愁をおびた黒い瞳の19歳の娘。
もの静かで従順な彼女はどこか故郷の母を思い出させた。
33歳になったセザンヌは、彼女との間に最愛の息子ポールをもうけ、
やすらぎを家族に求めます。
一方、創作の上でセザンヌに最も影響を与えたのは画家カミーユ・ピサロでした。
温厚で才能豊かなピサロはセザンヌを優しく導き、自然を描くことの素晴らしさ、喜びを教えた。
セザンヌは心を込めて風景を描き始めます。
「空が、自然の果てしない事物が、たえず私を魅惑する」。
彼は、ピサロや画家仲間のルノワールと郊外でイーゼルを立てた。
パリとクエスを行き来していたセザンヌは、この頃からしだいにエクスで描くことが多くなる。
なかでも、サント・ヴィクトワール山は彼の魂を大きく揺さぶったのです。
1886年、47歳になったセザンヌは、すでに小説家として名声を得ていたゾラの新作小説「制作」を受け取る。
小説を読み始めた画家は、瞳を輝かせる。
そこには、一緒に過ごしたクエスの少年時代が宝石のように散りばめられていたからです。
ここに僕たちの青春がある。
だが、、、、読み進むにつれ、彼の頬は引きつっていった。
小説に登場する絶望した画家、そえはまさしくセザンヌがモデル。
しかも小説のなかで画家は敗北者として自殺してしまう・・・。
著者がその画家にかける哀れみの情が、セザンヌを傷つけた。
ゾラは僕をこんな風に見ていたのか・・・・。
「この思い出の記念に感謝し、昔の日々を思いつつ(作者に)握手を送るよ」
一通の手紙を最後に、セザンヌは長年の親友ゾラとの交流を断ってしまう。
この年の10月に父親が死に、これ以後、セザンヌはエクスにこもり、世間も彼を忘れていく・・・。
それでも、彼は淡々と何枚もの傑作を描き続けていた。
新しい出会いと愛する故郷の大地
「これがセザンヌのエクスか」
1896年、ひとりの男が、この町に降り立ってつぶやいた。
新進の画商アンブロワーズ・ヴォラール。
彼こそは、画家セザンヌの運命の扉を開いた人物でした。
セザンヌの絵に「何か」を感じとったヴェラールは、前年、パリの自分の画商ではじめてのセザンヌの個展を開催。
生きていることさえ忘れられていた孤独な画家の作品は、人々に衝撃を与えます。
ヴォラールは思い出していました。
個展にやって来たセザンヌの友人たちの驚きを。
ピサロは改めて感動した様子で眺めいり、ルノワールは顔を紅潮させながら叫んだ。
「すごい。もちろん僕は彼の才能を買っていた。
しかし、これほどとは。
いつのまにこんな素晴らしいものを描くようになったんだ」
ドガもモネも同じだった。
セザンヌをもっと売り出そう、そう決心し、エクスまで足を運んだヴェラール。
エクスの静かな美しさを楽しみながらヴォラールが訪れたのは、
当時セザンヌが住んでいたジャ・ド・ブーファンという邸宅です。
以前、父親が富を誇示するかのように購入した18世紀の館である。
だが、屋敷の一角にあるアトリエは乱雑をきわめていました。
気難しい顔をした56歳のセザンヌの周りには、パレットナイフで切り裂かれた絵が何枚も転がり、
窓の外にある桜の枝には投げ捨てられた絵が突き刺さって風に揺られている。
しかし、セザンヌは遠来の客を歓迎した。
ただ、ヴォラールあら開くパリでの成功を、セザンヌはなかなか素直に信じません。
あまりにも長い間、無視され続けてきたから・・・。
エクスの滞在中、ヴォラールはセザンヌが街の人々にプレゼントした作品を蒐集して歩く。
なんと、人々は「変人画家の変な絵」を持て余して、物置小屋や戸棚に投げ込んでいたのです。
画商が「それを買いたい」と言っても、半信半疑。
ある家では、何点もの絵が古靴や割れた花瓶と一緒にホコリをかぶっている。
画商が全部を1000フラン(現在の5~7万円の価値)で買い取ろうとすると、
相手は驚きのあまり偽札ではないかと何度も調べるほどでした。
個展の成功でセザンヌの絵はようやくパリで認められるようになります。
しかし、彼は変わらずエクスで描き続ける。
1901年には、街の北にある小さな丘の中腹、ローヴ街導沿いに土地を買い、アトリエを建てます。
ガラス張りの大きな窓からエクスの街や聖ソーヴール寺院、さらにエトワール連峰が一望できる場所で
セザンヌは神格化され、エミール・ベルナールやモーリス・ドニら若い画家たちは、彼に会うために
「エクス参り」をするまでになっていた。
この様子を一番喜んでくれてるのは絶交している親友ゾラだろう。
しかし1902年のある日、ゾラは事故にあい、急死します。
訃報を聞いたセザンヌは、アトリエにこもり号泣した。
その4年後、いつものようにスケッチにでかけたセザンヌは、
山の中で激しい夕立にあう。
67歳の画家はそれでも描き続けて、ついに気を失ってしまった。
翌日も医師の制止を振り切って絵を描こうとするセザンヌ。
この無駄がたたり、10月22日、彼は息子の名を呼びながら息を引きとります。
孤独な画家が生涯をかけて愛した街エクスは、山々が黄金色に輝く秋でした。
まとめ
近代絵画の父とまで呼ばれるセザンヌですが、
彼の成功までは3つの関門がありました。
1・父親を説得すること
2・展覧会で5年間落選する
3・クエスに引きこもる
彼はこれらの厳しい試練を乗り越えて画家として成功しました。
これは「本当に好きなことは決して諦めてはいけない!」
本当に自分がやりたいことをすることが
人生なのだとセザンヌは私たちに教えてくれます。
セザンヌは今では巨匠ですが、
当時はみんなと同じ普通の人だったのです。
どんなときも諦めずに自分を信じて前進しましょう!
・ゴーギャン 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」