美術学校では、西洋のギリシャ彫刻を描くことが一般的な勉強法です。
デッサンに必要なことを、木炭画によって多くを学びます。
描くことで、誰もが必ず成長して上手くなれる造形デッサンですが、その反面、実際に画家たちが行ってきたのは独自の素描やクロッキーでした。
クロッキーにより人物をイメージし、それをときにはデフォルメして制作に用いている。
クロッキーは、画家たちの想像力をかきたてる方法と手段でもありました。
代表的なのが、彫刻家のオーギュスト・ロダンですが、彼のクロッキーを用いた制作方法は、そのことをよく示してくれています。
クロッキー
短期間、あるいあは瞬時の動きの中に、実に魅力的な形を発見することがよくある。
目の前にいつまでもある形ではなくても、一気にその印象を線で描く練習をするとよい。
クロッキーとは、線を主体に短時間で描く事を言うが、モデルのポーズ時間を10分、五分と短くしながらさまざまなポーズを描いてみることは、より端的に形の省略や強調が行われ、ポーズの持つ魅力や美しさをシンプルに見いだす手掛かりとなる。
クロッキーは、線で描く事を中心に繰り返し練習をしてみること。
この際、細かなまちがいを気にするよりも、何枚も自分のテーマを持つように心がけながら描くのがよいでしょう。
これは人体クロッキーに限られず、普段、印象に残ったもの、残像の記憶に近いものであっても、それをノートに描いてみるようにすると思わない発見をすることがあります。
もちろん、短時間に極力よくモデルを見て、瞬時に形をとらえる意識をもって描いてみることが必要なのは言うまでもありません。
クロッキーは多く描くことによって、線を単に輪郭線としてとらえることでなく、描かれた線が持つ、線独自の魅力を発見することにつながる。
デフォルメ
デフォルメは造形表現上、非常に多く用いられる方法です。
形の特徴をとらえようとする場合や、形により強いアクセントを求めようとするときなどにしばしば行われ、ほとんど個人の表現の意識によって行われる。
描いている人にデフォルメの意識がどれほど働くかは別にして、強い印象をとらえようとして結果的に魅力的なデフォルメが表現として生まれることもある。
それには対象を追求する中から形それ自体が表情を持ち、いつかそれが描く人の一つの表現様式を含むものにつながっていく場合もあります。
デフォルメを単に形が間違っていると感じるか、対象をより生き生きとらえることに近づいたと感じるかは、描いた人自身の問題だといえる。
これは描くうえで、自分の感性を発見していくことにもつながっていくように多くの古今東西のデッサンを見て自分自身の目を高め、より自分の手が強くのびのびと動き出すようになることが大切です。
いずれにしても、多く描く経験の中からデフォルメの意味は自然に身につき、理解されていくでしょう。
着衣
着衣の人物は、人体を描くことからみると、より特定の人、肖像を描くことに近づく要素を持っているが、同時に人間の外側を反映している面白さがある。
人体を描きながら、着衣の人物もどんどん描いてみるとよい。
人体は、いわばもうこれ以上は脱げないという形です。
これに対して絵画上の着衣(コスチューム)は、それぞれの社会や時代の中での、人間のもう一つの外皮・あるいは外形であり、人間自らの自己造形(色、質、形、動き)でもある。
まとめ
画家にとって素描やデッサンは、ただ理解するためのものだけではありません。
クロッキーによる素早い訓練は、人間が見逃すような動きをとらえることに役立つばかりか、その手の動きによって自然な感覚の絵画世界を想像させるものでもあるのです。
人体素描で得た知識だけではなく、素早く一本の線で強弱をとり、それによって立体を想像させるほどの実力を持つ必要がある。
また、人体クロッキーで経験を積み、絵画的な独自の造形を目指す場合デフォルメは欠かせません。
絵は見たまま描くのではなく、常に自分の手によってデフォルメし、それによって画面上に絵画的演出された美術が生まれるのです。