わたしたちは遠い視線が自分たちの意志や行動を記録したり、
象徴するために、壁や樹木や石に図形や記号などを書いて、伝達の手段とした。
人は遊牧の時代から定住するようになると、種族のような小さい集団から、
より大きな新しい秩序を組織する社会、国家を形成するに従い、
高度な感情や意志や行為の伝達が一層必要になってくるのは当然の流れだった。
こうした人間の歴史の変遷の中で政治、経済、宗教、哲学など一切の科学が、
感性の世界である芸術の分野と全く無関係できたことは考えられない。
絵画や彫刻や工芸や建築の歴史をひもとくまでもなく社会と芸術の関係が、
今日の華やかな芸術の花を咲かせてきたことを誰もが十分理解できると思う。
古代人の遠近感
かつて古代人たちは、大地は限りなく広く無限にひらけているものと信じていた。
そのはては天国であり、地獄だった。
彼らはどんなに遠方にいる人間も樹木も動物も建物も、
自分たちの住んでいる周囲にあるものと全く同じ大きさであると信じて来た。
このことは幼児が自己中心的に物を考え、描画することと同じだろう。
こうした考えの中から生じた絵画は、わたしたちは今日の視覚を通じて見える姿を描くことのできる手法を知っているものから考えれば不思議に思われるかもしれない。
もしわたしたちが遠近法(透視図法)を知らなかったら、今日のような自然主義的(再現的)な絵は未だ表現することが出来なかったかもしれない。
古代人は画面に奥行き(距離空間)を現わすために、遠方は画面の上に、
近いものは画面の下の方に同じ大きさで描いた。
また、大小で描くことは権力を象徴するためであり、絶対のもののシンボルとして描き分けた。
こうした表現を使って奥行きを描いていた時代は、実に驚くほど永い歳月のあいだ続いた。
14世紀~16世紀
大小が画面の中で奥行きや空間の感じを現わす新しい意味をもつようになったのは、
ルネッサンス(14~16世紀)の頃からだった。
そのころ中国ではすでに奥行きや空間を表わすのに三遠描法があった。
イタリアのヴェンヴェヌート・チェリーニやレオナルド・ダ・ヴィンチやドイツのデューラーなどによって、空間描法が理論的に研究され、ついに視点を固定さすことによって、透視図法なる表現手法を完成させた。
こうした画面構成に新しい技術を発見した背景には、当時の自然科学のいちじるしい進歩があった。
磁石の発見、印刷技術の発明、マルコ・ポーロの「東方見聞録」、ヴィスコ・ダ・ガマのインド航路の発見、マジェランの世界一周により地球は丸いことを実証した。
こうした自然科学の進歩は、人間の思考に大きな変化をもたらした。
ルネッサンス時代から絵画の表現形式に透視図学が用いられ、視覚の再現と空間の現実感を十分に表現するのに成功した。
そして消失点の設定はそれによっておこる大小の相関関係によって画面に距離感を表現する強力な武器となった。
17世紀
17世紀にはいって、産業革命の洗礼をうけた社会は政治、経済に直接大きな変化をもたらし、自由貿易とアメリカ大陸の発見、社会主義の発生などめまぐるしい変化が起こった。
人々の物心両面における生活様式は、好むと好まざるとにかかわらず変化させられてきた。
こうした間に資本主義の成熟にともなって生まれて来た新しい偉大なパトロンの出現だった。
画家たちは光輝ある「光」と「影」を讃美する自然主義的傾向の絵が盛んに描くようになった。
画面は光によって生命を讃歌し、無限の影は神秘をささやいた。
イタリアのカラヴァッジョやオランダのレンブラントなど多くの天才たちが現れた。
やがて光と影の微妙なニュアンスはさらに画家たちを太陽の光、太陽の直射のもとで色の明暗や空気の層による、けぶるような遠景の妙味にさそわれるようになった。
光を分析し、絵具の使用についても画面の中で投点描法の技術が使われるような画風まで生まれてくるようになる。
即ち写実主義、自然主義の方向に進展していった。
18~19世紀
産業・経済の急速な発展によってもたらされた資源と市場と人間の欲望が、国家主義と植民地支配に狂奔する国家自然科学理論の進展が、電気化学、生物進化論など一般思想界に与えた深刻な影響に、決して無関心ではいられないのが芸術家たちだった。
こうした18~19世紀の激しい変化は、世界史の伝統を根底からくつがえす遠因とならざる得ない。
真理への情熱と普遍性への欲求、そして伝統への反動として19世紀の中頃から反主知的、反合理的な方向に走ったのも当然のことだった。
その先駆者は文芸の分野において最も特色を発揮した。
音楽はシューベルト、ワーグナー、リストなどの音楽家や、ドラクロアなどの画家が思い出される。
しかしやがて「芸術のための芸術」と言われたロマン主義は現実を遊離し、観念論的死物となっていく思考に対して、実証主義、弁証法的唯物論が登場する結果となった。
文芸家たちの中には、フローベル、モーパッサン、ゾラの巨匠が続出し、過去の美に対する観念にも疑問を抱くようになる。
ソビエトではトルストイ、ドヅトエスキー、ツルゲーネフが動揺する知識人の世界をするどく描いた。
画家たちはアトリエを捨て太陽を慕い、緑を求め、自己の信じる素朴な心情をキャンバスにぶつけるように努力した。
マネ、モネ、ドガ、ロートレック、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ルノアール、など、印象派の画家たちは、主観を強調し、太陽の下で自然の前に自己を置き、直視する主観を大切にした。
そして個性を尊び、思う存分自然を描写しました。
20世紀
20世紀に入って、絵画の歴史は写実主義、自然主義はアフリカの未開民族の作品を手にしたヨーロッパの芸術家たちに自分らのほこりとしていた芸術観に対して、一大鉄鎚が下された。
この時からヨーロッパ伝統が崩れ始めた。
ピカソ、ブラックなどの画家たちとフランスの詩人アボリネールらによって立体派の運動がパリいおこった。
そして未来派、表現派、抽象派などへの発展していった。
思えば美術家は画面という平面に向かって数千年間、奥行き(三次元)との対決に関して苦闘の歳月に終始してきた。
ニュアンスとか情緒とか雰囲気とかは三次元に着せる衣のようなもの。
人間が存在する自然すなわち空間、時間の中で、画家はいかに真実を表現するかに生命を削り尽くしてきたかを美術史は黙って示している。