「風景」を描いた巨匠を紹介・NO2

最近の日本では、風景画家がだいぶ減ってきています。

残念ながら、自然破壊の影響で描く場所が減ってきているとも聞きます。

昭和の画家たちのように、日本の風景を描く画家がもっと増えて欲しいものです。

今回は、17世紀バロック後半から18世紀ロココ、19世紀ロマン派までの「風景」を描いた巨匠を紹介します。

17世紀バロック時代の繁栄に続き、18世紀ころから、新大陸発見で、ヨーロッパの人達は新大陸に大きな夢を空想的に描いたり、19世紀には現実の中のドラマを情熱をこめて表現しています。

 

「風景画」を描いた画家を紹介

ここでは、17世紀に後半バロック最後の画家たち、ロココ時代の華やかな演出とロマン派の魅力ある世界を紹介します。

フェルメール、マーソ、カナレット、ヴァトー、ターナー、フリードリヒ、コンスタブルの7人の巨匠の作品を見ていきましょう。

フェルメール 「デルフトの眺望」1660年

オランダは17世紀に優れた風景画家を輩出しましたが、フェルメールが一度だけこのジャンルに手を染めるや、透明感と迫真性の点で彼らの最高傑作をも凌駕しています。

フェルメールは、この微妙な光の効果をアトリエの内部だけでなく、戸外でもうまくとらえました。

「デルフトの眺望」は全体の雰囲気とこのうえない細部表現が完璧にマッチした、比類ない傑作といえます。

どんより雲った日の雰囲気が完璧にとらえられていて、陽の光が厚い雲の間から射し、遠くの屋根を輝かせています。

また、赤い屋根の小さな家が立ち並ぶ、運河の都のほぼ全景をロング・ショットで捕らえています。

ですが、実はこの作品は、デルフトの名所を寄せ集めて、街の名所を描いた作品なのです。

高くそびえる教会の塔はもっと奥に見えるものを手前に描き込んでいます。

 

マーソ 「サラゴーサの眺望」1647年

ベラスケスの死後、後を継いでスペイン宮廷画家となり王族の肖像画を描いて、ベラスケスの画風を受け継いだのは娘婿のファン・パウティスタ・マルティネス・デル・マーソでした。

彼は当時のスペインでは珍しい風景画を残しています。

この絵は、エプロ河の北岸からサラゴーサの町を眺観したもので、前景には人物がグループに分かれリズミカルに配されています。

画面右にかかるのはピエドラ橋で、1643年3月の洪水により中央のアーチが破壊されています。

壊れた橋の向こうには、天使の門が迎え、門の左に緑の屋根の宮殿とさらに左奥に大聖堂ラ・セオの円筒のドームが見えます。

また門の右側には取引所と市庁舎が続き、ちょうど壊れた橋の間から守護聖母に捧げられたエル・ピラール聖堂の高い塔が描かれています。

マーソの「サラゴーサの眺望」は17世紀の風俗の貴重な記録であるばかりか、スペイン・バロックでは他に例をみない純粋な風景画と言えます。

 

カナレット 「バチーノ・ディ・サン・マルコ:東の眺め」1735年

カナレットとヴェネツィアの関係ほど、緊密に特定の土地と結びつきをもった画家はほかにいません。

彼の生存中、作品は裕福な観光客の思い出を飾る土産物として購入されました。

この絵はおそらく、カナレットの作品中、最も完成度の高い作品で、あらゆる種類の船が水上に群がり、貿易が繁栄する当時のヴェネツィアのようすを伝えています。

船にはヴェネツィアの旗だけでなく、デンマーク、イギリス、フランス、の旗が見えます。

この風景は、地誌的には正確といえませんし、画面両側は、それぞれ別の地点から見たものです。

カナレットの作品でも空間的な広がりをここまで感じさせるものはほかにありません。

 

ヴァトー 「シテール島への船出」1718年

ヴァトーはロココ時代を代表する画家といわれています。

彼は、パトロンやパリんの王立アカデミーの意向に従うのを嫌い、自分の創意のおもむくところに主題を求めました。

最初の自由な芸術家でもあり、自分の好みで絵を描き、真の独自の立場を保とうとする彼の態度は当時大きな衝撃を与えたに違いありません。

この作品は、新録鮮やかな木々、ぽっちゃりとしたキューピット、むつみあう男女、そして贅沢な絹のドレスが優雅な情景に彩りをそえています。

大自然の川をくだって豪華な船で、陸にたどり着いた貴族たちと、後ろにそびえる素晴らしい大自然の景色と裏腹に、画面中央に立つ婦人が物憂げに後ろをふり返るのは、快楽のはかなさを示しています。

ヴァトーはこの種の「雅宴画」(がえんが)の描写を得意とし、ロココ様式によく似合うこのジャンルをかつてない高みへと引き上げました。

ヴァトーはルーベンスの作品を敬愛し、おおきな影響を受けています。

ヴァトーの優美さは、フランスならではのもので、ヴェルサイユのルイ16世宮廷の絢爛豪華さに通じています。

 

ターナー 「吹雪一沖合の蒸気船」1842年

小船は嵐の真っただ中で、沈没を避けようと苦闘しています。

海、雪、船のエンジンの吐き出す煙が吹きつのる風と嵐の渦に巻かれる様を、ターナーは近代の抽象画家も顔負けの大胆な構図と筆図解を駆使して、自由に描いています。

時代をはるかに先を行っていたターナーはほとんど理解されませんでしたが、現在はイギリス最高の巨匠です。

油彩、水彩を問わず、絵の具から蒼白の輝きを引き出し、光、色彩、動きの魔術的な効果をとらえています。

晩年には、激しい気象にとくに興味をいだいていました。

この作品を描くときも、荒れ狂うすさまじさを肉眼で確かめようと、悪天候にわざわざ出航した蒸気船のブリッジに体を縛り着け、4時間も風雨にさらされたと言います。

その時、ターナーは67歳でした。

 

 

フリードリヒ 「氷海」1824年

フリードリヒの風景は、あふれるばかりの情感と雰囲気を特徴としており、絵のもつ意味を深く考えさせます。

フリードリヒはロマン主義的風景から常に精神性を引き出しました。

ゆううつ極まりない風景を好み、光の効果と季節感の描写に特に関心をもちました。

船が氷山に押しつぶされる場面を描いたこの壮大な作品は、フリードリヒの想像力のみごとさを示しています。

1819年から1820年にかけて、北西航路を求めて北極を探検したイギリスの海軍軍人ウィリアム・パリーの話がヒントになっているかもしれません。

 

カンスタブル 「乾草車」1821年

ジョン・カンスタブルは田舎で生まれ育ち、イングランドの風景を深く愛する気持ちが、その美しさを記録にとどめようとする決意を育んで、形や色彩だけでなく、湿気や光、そして雰囲気までをとらえています。

カンスタブルの芸術が豊かな成熟をみせたのは、1815年以後です。

従来の小型の絵に代わる堂々たる6フィート・キャンバスによって名声を得ました。

「乾草車」はカンスタブルの最も有名な絵で、初夏のフラットフォード水車場近くの静かな情景です。

犬だけが顔を上げ、空の荷馬車がウィリー・ロットの家のわきでストゥア川を渡って、遠景の牧草地に向かおうとしています。

制作に5ヵ月を要したこの絵に、画家自身は「風景:昼」と題をつけました。

太陽は画面をはみ出した高み、見る者のほぼ正面にあるはずです。

空をよぎる雲が、田園のそこかしこに影を投げていて、自然の中の人間の生命の力を表現しています。

 

まとめ

フェルメールからカンスタブルまでの長い歴史の中の風景を見ることで、社会の移り変わりがよくわかります。

また、どんな時代でも、風景画は人の心を自由にしてくれる絵画だったのでしょう。

画家たちの自然に対する、興味と情熱、風景への憧れが絵に表れていたと思います。

今では、見ることもできない歴史的な風景を巨匠たちが残してくれたことで、人類の進化を読み取ることができています。

僕は、ここに風景画の素晴らしさを感じます。

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画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。