「メーヘレン」のフェルメール贋作とフェノール樹脂

フェルメールは皆さんご存知ですよね。

デルフトのスフィンクス」と呼ばれるオランダの巨匠です。

このフェルメールの贋作事件が、第二次世界大戦の時代にあり大きなニュースになっていました。

その世紀の贋作事件を引き起こしたのは、オランダ人画家「メーヘレン」でした。

彼は、フェルメールが住んでいた町デルフトに生まれで、幼い時から画家になる事が夢でした。

ですが、父親の反対でメーヘレンは建築家の道に進みます。

建築家になっても、メーヘレンは画家になる夢をあきらめることが出なかったのです。

メーヘレンは、ついに建築家を辞めて画家になったのですが、前衛芸術と違いメーヘレンの古典的絵画は、画商たちに相手にされず、途方にくれた彼はとうとう贋作者の道に入っていくことになります。

 

世紀の贋作事件

この事件は1945年の、第二次世界大戦の終焉直後に発覚しました。

オランダ人画家ハン・ファン・メーヘレンが、フェルメールの贋作を売りさばいていた事件です。

この時期ヨーロッパでは、フェルメールの再評価で美術界はもりあがっていて、多くの研究者たちが次々に論文を発表していた時期でした。

彼らはフェルメールの作品のなかから、非真作をなんとか取りはぶこうと議論していたのです。

ですが、同時に新発見のフェルメール作品も求めていました。

そのようなことで、フェルメールに目をつけたメーヘレンは、贋作事件を引き起こしたのです。

そのフェルメールの贋作計画は、信じられないほどの大成功をおさめてしまうのでした。

 

フェルメール贋作事件はなぜ起きたのか?

オランダ人画家「メーヘレン」とは?

オランダ人画家ハン・ファン・メーヘレン(1889-1947)は、1923年にはじめて贋作に手を染めています。

本来画家であるメーヘレンは、子供のころ学校の古典絵画の美術教員から絵を学びました。

その教師は17世紀の絵画技法を研究してきた人で、オランダ絵画の伝統的な技法のすべてを子供のメーヘレンに教え込んだと言います。

すべての伝統的な技法を身に着けたメーヘレンは、20代後半に夢の画家になりました。

彼の画風は聖書を主題とした古典的な写実画で、当時の抽象表現主義のオランダ美術界では、時代に逆行する浮いた存在となり、批評家から散々な批評をくらい絵も売れず、画家生命が危ぶまれていたのです。

 

「メーヘレン」贋作に手を染める

その年にメーヘレンは修復家のテオ・ファン・ウェインハールデンに誘われて、一緒に贋作を作る誘いを受けます。

画廊で絵を売ることができなかったメーヘレンは、お金に困っていたのでこの誘にのってしまします。

この贋作制作の誘いが後に「メーヘレン」の運命を大きく左右することになるのでした。

初めにフランス・ハルスの贋作を手がけた2りは、大物美術史家のホフステーデ・デ・フロートに鑑定を依頼し、まんまとだますことに成功します。

競売会社がこの絵を買い取りますが、後の再鑑定で贋作であることがばれてしまいました。

損害賠償を求めた裁判でしたが、美術史家は自分の鑑定の正しさを譲りませんでした。

そして、問題の絵を自分で買い取るということになり、問題はあっさりと解決してしまいます。

おかげで、メーヘレンの名は表面化せず、事件の問題は追求されませんでした。

 

「メーヘレン」の本格的な贋作作り

事件後しばらくおとなしくしていたメーヘレンは、贋作であることを見抜かれたことで、自分の知識と実力を徹底的に使い1932年に本格的な贋作者としての道を歩み始めます。

修復家のファン・ウェインハールデンとは手を切り、新たな方法でメーヘレンが挑んだ贋作はフェルメールでした。

今回フェルメールの贋作は前回のハルスの贋作を見抜いた、オランダ美術界の大重鎮アブラハム・ブレヴィスをだますためでした。

彼をだませれば、後に贋作を流通させるのはたやすいからです。

 

フェルメール贋作を成功させた画家「メーヘレン」

フェルメールの空白を埋める「エマオのキリスト」

1932年に、プレディウスは美術雑誌に「フェルメールの作品中の最も美しい宝石の一つ」と絶賛しています。

この記事の作品は、「ヴァージなるを弾く女と紳士のいる宝石の一つ」と絶賛していますが、もちろんメーヘレンの贋作でした。

この絵は、フェルメールの作品をパッチワークして作ったもので、上手い絵ではありませんが、風俗画の初期のものと考えられたのでしょうか?

続いて、フェルメールの贋作として登場したのが、1937年再びプレディウスのもとに持ち込まれた「エマオのキリスト」でした。

プレディウスはこの作品を慎重に鑑定していたようで、疑問視したのはこのタイプの作品がフェルメールにないことでた。

そこで、プレディウスが考えたのは、神話や物語画から風俗画に転向した時の隔たりを、埋める時期に描かれた作品だと考えて、真作と断定してしまいます。

この焦りは、ナチスドイツにオランダの国宝が渡るのを防ぎたい思いもあったのでしょう。

作品売却価格は54万ギルダーで、オランダ絵画最高額だったと言います。

「エマオのキリスト」は、ボイスマン美術館の所蔵となり、資金調達にはレンブラント協会のほか数名とプレディウス自身も2万ギルダー出しています。

 

「メーヘレン」の罪

1945年5月21日夜、連合軍がナチスの実力者ヘルマン・ゲーリングの妻の居城で、「キリストと悔恨の女」を発見して一大ニュースになりました。

流出経路を調査され、そこでメーヘレンの名が上がり、オランダ国宝級の絵画を敵国ドイツに売り渡した罪を、厳しく問い詰められ疲労困憊の末に真相を告白します。

メーヘレンは、ドイツの協力者と思われるより、贋作者と名乗ることの方が罪が軽いと思ったのです。

ですがその言葉を誰も信じてはくれませんでした。

ボイスマン美術館の「エマオのキリスト」まで自分が描いたと告白しても誰一人信じないのです。

彼は、法廷で実際にみんなの前で、作品を描いてみせたことで真実が明らかになりました。

 

売国奴から国民的英雄に祭り上げれれた「メーヘレン」

1947年10月29日、裁判所はメーヘレンに一年の実刑判決を下します。

世間はこの話題でもちきりで、メーヘレンは売国奴と激しく非難していたと思えば、次は敵国ドイツをだました国民的英雄へと祭り上げられます。

贋作を作った動機は、批評家たちが自分の絵を馬鹿にして認めてくれなかったから復讐したと語っています。

1947年12月30日、刑期を残したままメーヘレンは、囚人専用病院で息をひきとりました。

58歳でした。

 

「ハーレムシッカチーフ」が天然樹脂からフェノール樹脂に切りかわった理由

「メーヘレン」のこだわりと古典絵画の知識

メーヘレンがなぜ美術史学会をだませたのでしょうか。

そこにはメーヘレンの古典絵画を知り尽くした知識のすごさが関係しています。

贋作を作る時メーヘレンは、厳しい鑑定をクリアすることを考えました。

当時もあったX線写真は、古い作品と新しい作品を判別することができるものでした。

そこでメーヘレンは、17世紀の絵画を手に入れその絵から絵の具をはがしとり、そこに新たに自分で絵を描き込んだのです。

その絵の具の顔料も17世紀の方法で、絵の具を作ることから始め、キャンバスを丸めて画面のひび割れを作り、ひび割れた部分にインクをしみこませて古い感じに見せかけました。

また、わざとやぶれたキャンバスを縫い付けて徹底して17世紀風に仕上げています。

鑑定でいちばん見られる重要なところは、絵の具で、300年前の絵の具は石のように固く固まっているので、アルコールで検査しても色落ちすることはありません。

現代の絵の具は、乾いて固まっていても本当に固まっていませんので、アルコール検査で薄く絵の具がとけます。

このことを知っていたメーヘレンは、古代の琥珀のような硬い絵の具を再現する方法を生み出します。

 

伝統から科学的になった「ハーレムシッカチーフ」

その方法は、人工プラスチックの樹脂です。

その樹脂はフェノール樹脂といい、それを絵の具、画面の表面に塗りつけてオーブンの熱でかためて、17世紀の本物の絵肌そっくりに再現していたのです。

この人工樹脂がメーヘレンの贋作成功のカギともいえます。

そして、現在の我々が使っている画材に大きなヒントを与えたと言えるのです。

現在市販されている、乾燥メディウムや乾燥促進剤には、天然の物と人工の物と2通り販売されています。

ですが最近、古くから使われてきた樹脂が入っている、画溶液の成分が変わってきているのです。

そこでプロの画家たちが昔から愛用してきた「ルフラン&ブルジョワ」の製品なのですが、フラマンシッカチーフとハーレムシッカチーフの二つのシッカチーフはとても有名な樹脂の入った画溶液です。

最近ここ数年で、ルフラン&ブルジョワ社やほかのメーカーも、ハーレムシッカチーフの樹脂が人工樹脂を使い始めたということです。

(フラマンシッカチーフは今まで通りコーパルベースで作られています。)

これにはみんなショックだったと思います。

もともとは、コーパルやマスチックといった天然樹脂を使っていたのですが、今はメーヘレンが使ったフェノール樹脂に切り替えられています。

このことは、古代の絵の画面を再現したい画家たちを不安にさせました。

そしてもう、「ハーレムは使わない!」となっているのです・・・・

人工樹脂と書いてあるだけで、他に説明がないのです。

ですが、ヨーロッパでは、メーヘレンの考えが間違っていないことが最近の科学で証明されているのです。

現にメーヘレンの作品状態はひじょうによく、変色していないのが特徴です。

古代の天然樹脂のコーパルなどは、色が濃い琥珀色なので、絵も少し年月とともに暗い色になっているものもあります。

その反面、フェノール樹脂を使うことで、頑丈で光沢のある画面になり、古代の作品に近い画面再現とも考えられていることです。

このメーヘレンの発見は今の絵画に新しい科学の力を借りて、古典絵画に新たな可能性を生み出したことにあります。

彼は、悪意ある行為をしましたが、古典絵画を知り尽くした研究者として、現在の我々に新たなヒントを残したとも言えるでしょう。

 

まとめ

今では忘れられた世紀の贋作事件、いかがでしたか?

とてもフェルメールとは思えないレベルの絵ですが、当時のフェルメール再評価の影響で慎重に判断出来なかったのでしょう。

他にも、フェルメールとされていた作品が、今では、同時代のデ・ホーホの作品と鑑定し直されているものもあります。

あの事件以来、フェルメールはさらに世界で注目を集め、いまでは大人気画家となっていますね。

メーヘレンの時代は、ピカソから抽象表現主義の時代で、古典絵画は世間で受け入れられない時だったのです。

メーヘレンの才能は実に残念な結果を残しましたが、現在の我々に絵画と科学を結びつけた功績を残りました。

今では、メーヘレンの作品は評価され、美術館に展示されています。

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ABOUTこの記事をかいた人

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。