マルセル・デュシャン 「階段を降りる裸体NO.2」

「階段を降りる裸婦NO.2」 この絵の出現はまさに「事件」でした。

1913年2月、フォーヴィズムやキュビズムなど、ヨーロッパの最新美術を初めて本格的に紹介する国際美術展がニューヨークで開かれたとき、23歳の画家デュシャンが表現したこの絵は、もっともスキャンダラスな作品として、新大陸の市民たちのあいだでセンセーショナルを巻き起こした。

一体何が描かれているのかわからない。

この絵を、人々は「屋根瓦工場の爆発」「地下鉄のラッシュアワー」などと呼び、笑い、そして、バカにした口調で、作者に憤慨しました。

解体された肉塊とも金属部品ともつかない、「ただの形」が左から右へ重なり合ってなだれ落ちていく名画。

 

現代美術に新たな道を開いたスキャンダラスな名画

デュシャンは、以前からパリでキュビストたちと交流しつつも、幼いころから興味を抱いていた「動き」を、キャンバスの上でいかに表現するかを真剣に考え続けていました。

18世紀後半に起きた産業革命以降、ますます加速化し、発達する機械文明。

デュシャンはいつの日か人間さえもそのシステムの中に組み込まれ、一個の機械となるだろうことを鋭い感性で予感していた。

その予感こそが、この名画の中で人間の肉体を分解し、人体を「運動する機械」として表現させたのです。

しかしこの絵は、友人のキュビストたちから反感を買い、1912年の無審査の展覧会への出品も拒否される。

ディシャンは以後、パリでの展覧会に積極的には参加せず、1915年、ニューヨークへ渡った。

アーモリー・ショーへの出品以後、一躍「有名人」となったデュシャンは、新しい芸術にとまどいつつも歓迎するこの自由の国で、アレンズバーグ夫妻という熱狂的なパトロンを得て独自の道を突き進む。

そして2年後、ありふれた日常品を芸術作品として発表、再び芸術界に衝撃を与えたのです。

常に実験的な試みに満ちたその活動は、20世紀後半の芸術家たちに大きな影響を与え、ポップ・アート、ハプニングなど様々な現代芸術の手法を生み出していくことになります。

全作品が一ヶ所に集められるこよを切望した画家の意を受け、アレンズバーグ夫妻の尽力で、現在その作品の大半はフィラデルフィア美術館に収められている。

そして、アーモリー、ショーから80年の歳月を経てこの絵の前に立つ観客たちは、それが今も衝撃力を失っていないことに深い驚きを覚える。

 

「運動する機会」としての肉体

左から右へと連続的に移動していく機械のような物体。

題名から推測すると「裸体」であるらしい。

だが、その姓別すらも判然としていない。

ディシャンはこの絵で一体何を描こうとしているのか。

前年の作品「肖像」に比べると、「運動」がより細かく立体化され、「動き」そのものに重点が置かれている。

また「ちっちゃい妹といえば」(1911年)を見ると、画家はこの絵で初めて、はっきりと肉体を「運動する機械」として表現しようとしたことがわかる。

この絵には、それまで散発的に表われ、生涯を通じて追求されていく肉体、運動、機械、また、画家にとってのエロティシズムなどが集約されているのです。

 

名画を生んだ機械文明の光と闇

ディシャンが生まれ、そしてこの絵を描いた頃、世界は機械文明による飛躍の渦中にあった。

19世紀後半には重工業・科学工業が発達し、20世紀初頭には鉄道など様々な革新的な機械が出現する。

1903年、ライト兄弟による飛行機の発明に人々は熱狂し、1913年にはフォードが自動車の量産を開始します。

そこには科学技術の進歩に対する楽観的な心棒がありました。

ディシャンは、写真機の進歩で可能になった高速連続撮影を用い、人体の動きを「階段を降りる裸体NO.2」に対応させようと試みます。

しかし、この絵に描かれた2年後の1914年、第1次世界大戦が勃発、先端技術の産物である戦闘機や戦車は大規模な殺戮の道具となった。

機械文明の中で消耗する人間とそれを賞賛する芸術。

ディシャンはそんな時代の到来を予感し、科学技術を利用しつつも決して楽観に陥ることなく、冷静な視点で、そのゆく末を捉えていました。

 

キュビズムからダダイズムへ

ディシャンと同じ頃活動した「未来派」も機械の動きを絵画に取り入れた。

しかし、未来派が機械文明や戦争を賛美し、個々の人間の存在理由を抹殺しているのに対し、ディシャンは、機械文明の中で生き残っていく人間性を模索していました。

そして、その答えを誰の心にもひそむエロティシズムに求めた。

また、この絵は対象を多角的な視点で解体し、画面(二次元)に立体(三次元)を表現する「キュビズム」の影響を受けているが、

ディシャンは、立体に動き(四次元)の要素も取り入れている。

ディシャンは渡米後「自転車の車輪」「壜掛け」などの「レディ・メイド」を発表し、絵画のあり方にも再度疑問を投げかけ、ダダイズムに先鞭をつける。

それは、「階段を降りる裸婦NO.2」で試みた、物事を常に根本から捉え、新しい価値観を作品上で表現しようとする、ディシャンのさらなる挑戦でした。

この名画は、画家の転機となったばかりでなく、後の美術のあり方すらも変える、歴史的な事件となる。

 

「階段を降りる裸婦NO.2」絵画史上どんな意味をもつのか

1913年、ニューヨークで開催されたアーモリー・ショーは、ヨーロッパの急進的な芸術を大胆に紹介し、アメリカ美術に大きな衝撃を与えたことで有名です。

なかでも「階段を降りる裸婦NO.2」は、最も前衛的な作品として在米新進画家を強く刺激しました。

そして独自のスタイルを模索する、アメリカ近代美術の質的転換を図る上で大きな契機となった。

ディシャンが試みた先駆的な実験は、以後、ありふれたイメージや日常的な事物を作品に取り入れたポップ・アートなど、様々な現代美術を生み出していきます。

その後アメリカは、ヨーロッパに代わる20世紀後半の現代美術の中心として発展していきました。

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taesun

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。