19世紀になるにつれ、今までの宗教画や神話画から、現実の世界に画家たちは目を向け始めます。
これが、写実主義の始まりです。
風景画家たちは、自分たちの暮らしと自然を対象に、制作するようになっていきました。
また、写生についての関心が高まり、戸外での制作が流行始めます。
チューブ入りの絵の具が開発され、太陽の下で絵が描けるようになったのです。
女流作家も増えた時代でした。
「風景」を描いた19世紀の巨匠たち
ここでは、コローをはじめとする田舎画家たちの、活躍により風景画がさらに発展を遂げます。
ミレーが中心となったバルビゾン派から印象派までの、流れを見ていきましょう。
コロー、ミレー、トロワイヨン、ブータン、ベルト・モリゾ、ルノワールの6人の作品を紹介します。
コロー 「朝、ニンフの踊り」1850年
風景の中に神話や伝統の物語を点景として描き込む歴史的風景は、古典的絵画教育を受けたコローにとって、最も格調高いものでした。
「朝、ニンフの踊り」は、コローの叙情的風景画の初期の作品です。
ニンフはギリシャ神話の妖精で、ここではバッカレーナのように、酒杯をかかげた者や娘たちにからかわれる男も描かれています。
見る者は物語の筋を追求するより、この自然に抱かれた古代の牧歌的なリズムに癒されます。
コローはオペラやバレエを見るのを好み、保存されているスケッチ帳には、特に女性をクロッキーしたものがたくさんあります。
裸体で描かれることが多いニンフですが、ここではカラフルなドレスを着ているなど、バレエ的な要素も取り入れているのかもしれません。
ミレー 「星月夜」1855~67年
1860年代のミレーは、風景画や光の表現に関心が高まり、オーヴェルニュ地方や、故郷グレヴィルへの旅からも刺激を受けて、人物中心の画風に変化がみられるようになります。
この「星月夜」人物がまったくいない夜の平野の、星と月明りのみをテーマとして描いています。
夜空は、満天の星明りが辺りをぼんやりと照らして、まるで夢の世界のような美しさを表しています。
光の表現は、印象派のように全体に散乱する光ではなく、光源をもってそこから広がるランプの光の効果に似ています。
夜のこのような明るい星空を描いた絵で、これほどの星の美しさを表現した絵は、ほかにありません。
またこの時期からミレーは、豊かな緑や明るい青空も描くようになりました。
このような光の変化や、晩年に多くみられる高い地平線の構図などが、1864年頃から関心をもちはじめた日本美術からの影響もあると考えられます。
このミレーの新しい関心は、人間表現中心のリアリズムから、印象派へと引き継がれてゆく自然表現への移行の始まりと思われます。
トロワワイヨン 「迫りくる嵐」1849年
コンスタン・トロワイヨンはバルビゾン派の画家ですが、この「迫りくる嵐」では、17世紀のオランダ風景画に見られるような構図感覚と、英国風の風景画家の影響を受けたロマン主義的な表現力により、壮大な自然のドラマが作り出されています。
この場面は、さっきまで晴れていた空に、急速に黒い雲が広がりはじめ、嵐が近づいていることを知らせる緊張した状況を描いています。
雲の間から差す光は川の水を照らし、船に乗ろうとする母子と船に乗る人も、まだのんびりとしながらも嵐の予感を感じています。
強まった風にざわめく木々が緊迫した状態を告げているように、画面左の男性は自然の情景を見つめ、見る者を画面の中に誘い込む役割を果たしています。
トロワイヨんの絵の特徴は、木の生命観と川の水との対比を、うまく利用した風景画を得意としサロンでも人気がありました。
ブータン 「ドーヴィルの海水浴」1865年
ブータンは、誰よりも早く印象派を予感していた画家でした。
モネに戸外制作を勧めたのもブータンです。
1860年代リゾート地として発展した町で、ブータンは海辺で日光浴を楽しむブルジョアジーの男女の姿をよく描いています。
この作品はには、横長の画面のなかに海辺の情景が無作為に切り取られたというより、いくつかの人物群や馬、ヨット、海水浴用の小屋、空に突き出ている三本のポールなどの各要素が、バランスよく配置されており、画家の強い構成意図が現れています。
ブータンは、戸外制作をすることで、自然を前にしてしか得られない効果が、画面のなかに生じることを確信していました。
ですが、同時に、制作というのは一瞬にして過ぎ去ってしまう印象を、損なわず描ききることは最も困難なものだとも言っています。
ベルト・モリゾ 「ロリアンの港」1869年
港を背に日傘を持って座っているのは、ベルトの姉エドマで、この作品が描かれたのは1869年3月です。
エドマとベルトは12年間、お嬢様のお稽古としてではなく、本格的なプロの画家を目指して共に絵を学んできた仲でした。
女性が画家になるのが困難な時代であり、2人の関係がさまざまな意味で単なる姉妹以上の精神的な絆を、はぐくんできたことは言うまでもありません。
そんな姉が突然結婚をし、ベルトのもとをさりました。
ベルトは同年6月と7月にかけてエドマの新天地ロリアンを訪れ共に過ごします。
この画面では、エドマを右手端に寄せ、中央を大きく空けていますが、この水色の空間は、良きパートナーを失ったベルト自身の、そしてエドマの心の内の寂しさを表現しているように見えます。
同じころのほかの印象派の作品と比べても、陽の光の表現はかなり明るく、タッチも大胆で、ベルトの力量がうかがえる作品です。
ルノワール 「ポン・ヌフ、パリ」1872年
ルノワールの弟エドモンの話によると、ルノワールはこの作品を描くにあるとき、橋の前にあるカフェの最上階を借りて、そこから下を眺めおろすようにして制作したといいます。
エドモンによれば、ルノワールが制作中に時折下に降りて、通行人たちに十分描く時間がとれるよう、ゆっくり歩いてほしいと頼んだようです。
通行人たちに混じって、ここではエドモン自身の姿も2ヵ所に描かれています。
共に、麦藁帽をかぶり、画面左手端と、画面前中央にも見えます。
そのほかには、子供連れ、カップル、兵士、荷車を押す人々、パラソルをさした貴婦人、かごを持った労働者階級の女性、子供たち、そして犬など、当時パリの街を歩いていて出会うさまざまな階級、職業の人々が画面のなかに描き込まれています。
セーヌ川にかかる最も古い橋「ポン・ヌフ」の上は、活気にあふれるパリの街の情景を今に伝えてくれます。
まとめ
19世紀は野外制作が始まり、自然美に憧れる市民の欲求を、肉眼で見たリアルな情景を描いて満たしていました。
この時代はリゾートブームの始まり、多くの人が郊外に出かけていました。
その影響もあり、チューブ絵具の出現によって、風景画も次第に明るく自由なものになっていったのです。
現実ではあるが、画家たちは現実を超えて新たな、まばゆい光の表現に移行していきました。