衝撃のフェルメール盗難事件!!

近年も人気のある巨匠フェルメールは、美術史家や美術ファンだけでなく、犯罪者や、テロリストの標的にもなっています。

現存する作品も、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく数が非常に限られていて、「世紀の贋作事件」にも巻き込まれる神秘的要素がある。

数が少なく、しかも人気があるフェルメールが標的なるのは当然かもしれません。

贋作事件に比べると、知らない人も多いかもしれませんが、フェルメールの絵は、何度も盗難にあっている。

特に注目されるのが、政治的動機から起きた事件は、1911年のレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」盗難事件が有名です。

この事件の動機としては、イタリア人大工が、イタリアから「略奪」された絵を祖国に持ち帰ることを目的とした犯罪でした。

ひどいのは、第二次世界大戦後の事件では、絵を人質にして、自分たちの要求に従わなければ「絵を破壊する」、という脅迫が多かったのです。

このようなアートテロリズムは、戦後5件起きており、そのうちの3件がフェルメール作品でした。

一般的に、美術泥棒は違法な転売を目的としているので、対象となる絵は平凡な作品が多い。

ですが、政治的目的を目指す場合、世間の注目を浴び、政府を揺さぶるため、数が少ない名作が対象になるのです。

 

「恋文」1971年9月に盗難

切り取られたキャンバス

1971年9月ベルギーの首都ブリュッセルのパレ・デ・ボザールで行われた展覧会場から、アムステルダム国立美術館所蔵のフェルメール「恋文」が盗まれた。

この事件の盗むに手口は幼稚で、しかも作品に大きな損傷を与えるものでした。

残念ながら、会場の警備が不十分だったことが原因でした。

犯人は昼に会場に隠れて夜になるのを待ち、絵を壁から外してキャンバス部分をナイフで雑に切り取り、絵を丸めてポケットに入れてカーテンを結び合わせて二階から降りて逃走。

管内に警備員がいたにもかかわらず、犯行は朝まで発見されなかったという・・・・

 

難民に対する援助を要求

10日後に新聞社に犯人から脅迫の電話がありました。

名を「ティル」と名乗る犯人は、東パキスタン難民に対する2億ベルギーフラン(約4百万ドル)の援助と、アムステルダム国立美術館とパレ・デ・ボザールに国際的な反飢餓キャンペーンを行うことを要求してきた。

要求に従わなければ、「フェルメールを二度と見ることはないだろう」と脅してきました。

犯人の名乗った「ティル」とは、フランドル地方の伝説上の職人で、昔話の義賊です。

日本の「石川五右衛門」「ネズミ小僧」に似たような感じでしょうか。

つまり、犯人は義賊を気どり、「恋文」を楯に難民に対する援助を要求したのです。

 

「恋文」の深刻なダメージ

数日後、犯人はあっけなく逮捕されました。

ガソリンスタンドの公衆電話でマスコミに電話したために、スタンドのオーナーに怪しまれた。

しかも、乗っているバイクに「ティル」というシールを貼っていたので、すぐの捕まえられます。

捕らえられた犯人は、21歳のホテルのウェーイターでした。

貧しく育った彼は、東西パキスタンの戦闘が原因で、インドに流れた700万人の難民の苦しみをフェルメールの作品を利用して義援金を要求することを思いついたと証言しています。

盗まれた「恋文」は犯人の部屋の、ベッドの下から枕カバーに包まれた状態で発見されました。

乱雑に切り取られて丸められた絵は、絵の具がキャンバスから剥がれ落ちて、切り取られた周辺の絵柄が数か所消えてしまうよいう深刻なダメージを受けた。

アムステルダム国立美術館は国際的なメンバーによる委員会を設置して修復の方法を検討しました。

オランダでは、名画に対すて行われた犯罪はそのまま保存するべきで、修復で隠蔽するのは望ましくないという意見もあったが、委員会は「恋文」の絵柄の完全修復を決定し、1972年の夏に修復を完了しました。

 

「ギターを弾く女」1974年2月に盗難

あっけなく盗まれたフェルメール

1974年2月21日の夜、ロンドンで起きたフェルメール窃盗事件は、ロンドンのケンウッド・ハウス美術館に泥棒が入り、フェルメールの「ギターを弾く女」を盗み出した。

その部屋にはレンブラントやフランス・ハルス、ヴァン・ダイクなどが展示されていましたが、ガラスを割って侵入した泥棒が持ち出したのはフェルメールだけでした。

犯行の数日後、犯人と名乗る男から新聞社に電話があり、イギリスから独立したカリブの小国、グレナダに50万ポンドの食料を空輸しろとの要求を市議会に突きつけた。

要求が受け入れられなければ、絵を破壊するし、また別の絵を盗むと脅しました。

 

IRA過激派による無差別テロ

ところがその翌日、ラジオ局にアイルランドなまりの別の男性からまったく違う要求をされます。

彼の要求は「シスターズを北アイルランドへ送り返せ」というものでした。

「シスターズ」(姉妹)とは、前年に起きた自動車爆破事件の犯人として有罪判決を受け、ロンドンの刑務所で無期懲役刑に服していたIRA過激派テロリストの事でした。

プライス姉妹(姉22歳のドゥルースと19歳の妹マリアン)を北アイルランドの刑務所に輸送せよと言ってきた。

その後、今度はグレナダの男から「フェルメールの絵を利用して、爆弾犯人を自由にするか、北アイルランドに移送することに成功すれば、IRAは我々に大金を支払うと申し出ている」という連絡があり、ますます事態は収拾がつかなくなっていきます。

やがて、アイルランドなまりの男から「ギターを弾く女」のキャンバスの断片と思われる布と、この絵に関する公開されていない事実、犯人だけが知る情報がリストアップされてきたことで、やがて真犯人が確定した。

 

狂気に満ちた脅迫状

70年代に入ってからIRA過激派による無差別テロが多発し、ロンドン市民は緊張した日常生活を強いられた。

プライス姉妹らが有罪になった事件は、1973年3月8日に起き死者1名、負傷者238名で、フェルメールであろうと、イギリス政府にとっては従えるものではありませんでした。

しかし、IRAは自分たちがフェルメールを盗んでないと最初から否定、姉妹の姉トゥルースも無傷で絵を返すよう犯人にアピールしている。

IRAと姉妹にもそっぽを向かれた犯人たちは、アイルランドの聖人を祭る聖パトリックの日(3月17日)に、「ギターを弾く女」を焼くと予告の手紙をロンドン・タイムズに送りつけてきました。

タイプライターで打たれた手紙の内容は、「絵画の盗難が、お前たちの兵隊の死より、ずっと多く世間の注目を集めているという事実は、変気の沙汰といわざるを得ない。もちろん、われわれはIRAの関係者とは誰とも連絡をとっていない。プライス姉妹はわれわれに対する感謝の念を表明してもいない。これでわかったのは、資本主義社会では、人間より宝物に価値が置かれるということだ。

したがって、われわれは狂気を最後まで貫徹する。絵は聖パトリックの夜に、最も狂気に満ちた劇的なやり方でひっそりと燃やされるだろう」

タイムズ紙の投書欄には様々な意見が送られてきたが、それを読むと名画を「人質」に取るという作戦がなぜ成功しないかが、よくわかる。

金銭的な価値、あるいは美学・美術史的価値でフェルメールの作品の重要性を説く人もいれば、自分の母親や娘に例えることでフェルメールの作品は貴重な心の拠り所であると訴える人たちも、またその反対に、世の中には絵よりもっと大切なものがあると考える人もいて、美術品に対する価値観は実に様々でした。

最終的に、イギリスのすべての人達に共通していたのは、「ギターを弾く女」を守るために犯人の要求をのむべきだと考える人がいなかったことです。

その後、絵が焼かれたという犯人からの連絡もいっさい途絶えた。

 

「手紙を書く女と召使」1974年と1986年、2度の盗難

19点の絵画略奪事件

それから5週間後の4月26日の夜、今度はアイルランド共和国ダブリン郊外の私邸ラスボロー・ハウスから、フェルメールの「手紙を書く女と召使」、ハブリエル・メツーの「手紙を読む女」と「手紙を書く男」、そしてゴヤの「ドーニャ・アントニア・サラーテの肖像」など19点の絵画が略奪される事件が起きた。

ラスボロー・ハウスは、18世紀に建てられた貴族の館で、居住者のアルフレッド・バイト卿夫妻は、ヨーロッパでも有数の18世紀以前の巨匠の絵画コレクションを邸内に飾っていました。

犯行は、女性主導で行われ、フランス語で「車が壊れた」と助けを求める女性の声に使用人が通用口を開けると、銃を持った3名の男がなだれ込み(ルパン?)、使用人と夫妻を縛り上げた。

女性が指さす絵を、男たちが壁から次々にはずし、あっというまに車で持ち去ったのです。

その後、脅迫の手紙にはプライス姉妹らの北アイルランド移送と50万ポンドの現金で、5月14日までに要求が受けられれなければ、絵は破壊されると書かれていた。

この窃盗事件もアートテロだと判明しました。

 

アートテロ

イギリス政府は、この問題を完全に無視しました。

持ち主のバイト卿も、新聞記者に50万ポンドを支払うかと聞かれ「とんでもない」と答え、さらに自分の絵が破壊されるかもしれないという事態に対して気持ちの準備は出来ているか、とつっこまれると「できている」と答えた。

ホワイト博しも「支払いに応じる、あるいは脅迫に屈することは、社会的論理に反する」と述べた。

「ギターを弾く女」の場合と同様に、ここでもアートテロに譲歩はしないという考え方が浸透していました。

 

「手紙を書く女と召使」発見

盗難発生の時点から、アイルランド警察はフランス語なまりで話す女という手がかりを追っていました。

そして脅迫状の届いた翌日、アイルランド南部の小さな港町で農家の離れたスイス人を装って宿泊していた「メリル夫人」が逮捕される。

離れと車の中からフェルメールの「手紙を書く女と召使」をはじめとする盗まれた全点の絵画が発見されました。

メリル夫人は、IRAの活動家で、経済学の博士号を持つイギリス人ブリジット・ローズ・ダグテールでした。

ダグテールは、前年、上流階級の父親の邸宅から、IRAに供給する武器の購入資金を調達する目的で銀器や美術品を盗み出しています。

美術品泥棒の前科もあり、逮捕状も出ていたことで指紋が一致したことで、IRAが事件に関与していたことが確認された。

 

「合奏」19903月に盗難、今なお行方不明

戻ってきた「ギターを弾く女」

ダグテール逮捕の翌々日、ロンドンのスコットランド・ヤードに一本の電話がかかってきた。

市内の聖バーソロミュー教会の墓地にケンウッド・ハウスから盗まれた「ギターを弾く女」が置いてあるという内容でした。

警官が駆けつけると、新聞でくるまれた絵が墓石に立てかけてあった。

それから一ヶ月後プライス姉妹は北アイルランドの刑務所へ移送することが決定。

結局二つの事件の真相はわかっておらず、同一犯なのかも不明のままです。

 

アートテロの限界

3件のフェルメール盗難事件は、アートテロの限界を証明する結果となりました。

「名画」を人質に取って相手を脅迫する方法は、被害者バイト卿の反応でもわかるように、絵を救うためにテロリストの要求に従うべきだと考える人は、現実にはいなかったのです。

優れた芸術品は社会が保護すべき財産であるが、テロリストに屈してはならないという姿勢がヨーロッパ中に浸透していた。

実際に多くの人質が取られ、人命が犠牲になっていた当時のヨーロッパでは当然でした。

 

帰ってこない「合奏」

80年代に入ると、美術市場の価格が高騰し、違法な転売を目的とする絵画泥棒が急増しました。

さらに、麻薬や武器の売買に、貨幣に代わって盗まれた絵画が使われるという事件も起きています。

このような風潮の中、1986年にラスボロー・ハウスから「手紙を書く女と召使」が再度盗まれる事件がおきました。

この事件は、7年後に無事に絵は帰ってきましたが、1990年にガートナー美術館から盗まれた「合奏」の行方は分かっておらず、窃盗に関しては時効が成立しました。

犯人が逮捕される可能性は極めて少なく、絵も戻ってくるのかわかりません。

窃盗事件では10数年後に、見つかる可能性もあるので、無事に戻ってくることを祈るばかりです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

意外と知られていない、絵画の盗難とアートテロ事件の無謀な行動。

美術品をこのように扱う犯人には、怒りがこみあげてきます。

第二次世界大戦にも多くの美術品が炎の中に消えていきました。

価値あるものと知りながら、それを破壊する人たちの行為は許せるものではありません。

自分たちの先祖が大切に守ってきた人類の遺産を、政治的な事に利用する行為はもう繰り返してはいけない。

美術品は、われわれ人間の進化の証明であり、歩んできた人類の軌跡なのです。

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ABOUTこの記事をかいた人

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。