名画を見るとなぜか、すごい力を感じますよね。
名画に限らず僕らのような一般の画家たちの作品でも、そのような感覚を感じることはよくある事です。
これは人間の不思議な力だと思います。
人が心を込めて作った物には、なんだか「美」の力をすごく感じてしまう。
ゴッホの作品なんて、魂の叫びのような感情を画面から感じ取ることもできる。
これって不思議ですね。
ほんと絵の中で画家の魂が、生きているように感じることもあるんですよ!
僕だけじゃなく、人間なら誰にでも感じることができる、不思議な能力だと思います。
絵に限らず、なぜ人が「美」に込めた魂は生き続けているのでしょうか?!
「絵」には画家の魂がやどてっいる?
古代の宗教画を見ていると、キリスト教徒でもなんでもない自分が、素直な気持ちで感動したり、自然にその絵の世界に入っていけます。
ルネサンス時代の画家たちは、自分の信仰心を絵に込めて祈りを捧げました。
マザッチオやフラ・アンジェリコのような前期ルネサンスの絵では、まだ絵画技術的なものは確立されていない時代でしたが、なんとも清らかで美しい絵画表現をしていて、今でも世界の人々を感動させています。
技術的には、写実的でもない表現ですが、画家の魂がやどっていることを感じ取れるのです。
これが絵の力なのでしょうか・・・
不思議な感覚です。
よほどの「美」の感性を持っていなければ描けない絵だと思います。
一筆一筆に画家が魂をこめて描いています。
「細密画」の細密さの裏にあるものとは?
僕が20歳の時に、フランドルの絵画やオランダ絵画をはじめてみたときは、ほんと、すごい衝撃を受けました。
信じられないほどに、細かく描かれた風景や、リアルな静物画の絵画表現は、デッサンで苦しんでいた自分には想像もできないレベルの絵でした。
近くで見ても、食べれそうなレモンや生牡蠣、ブドウの葉にとまる昆虫まで「丁寧に」を超えてしまっている技術は、「これが人間の底力なのか!」と驚きと感動の目を、画面から離すことができませんでした。
「細密画」には寓意的な意味が込められていますが、それ以前に画家の信仰心を感じることができます。
彼らは、忠実に自然を描く事で、神への信仰を絵筆の一塗り一塗りに、祈りをこめて描いたのだと思います。
「自然と神(宇宙)と人間」の関係
19世紀になると神への信仰は自然を通して、表現される時代になりました。
バルビゾン派の画家たちは、自然を描く事で大地や樹木を通して神との親交を求めていました。
これは、古代への回帰ともいえることで、1万5000年前の遺伝子の記憶が目覚めた時だったのかもしれません。
コローの森の精霊的な作品や、ミレーやトロワイヨンという画家たちの作品は、当時のパリの人たちに感動を与え大人気を博します。
そのなかでもミレーの「晩鐘」という作品はとても素晴らしく、また美しい。
夕暮れの鐘に耳を傾けながら、神に祈りを捧げる農民夫婦を描いた感動的で忘れがたい印象を与える名画は、自然と人間の関係を表しています。
貧しい農民夫婦は、大地の恵みに感謝して、作物が無事に収穫できるようにと神に祈りを捧げています。
この時代は、教会の力が弱くなり、人々は大地と空と自然の隅々に神を感じていたのでしょう。
「美」は「絵画」の中で生き続ける
絵は画家が生きていた一瞬の時間の中で感じた、「美」を表したものです。
そこには、人や花、美しい風景などがありますが、見た目が綺麗だからとそれだけで、「美」を語ることはできません。
画家の目は、一般的に「美」を感じないものからでも、「美」を感じ取り表現することができます。
ふだん何も感じなかったり、また見えていなかったりしても「美」はいたるところに点在しているのです。
ふとした瞬間に「美」を感じたことは、誰にでもあると思います。
そのようなほんの少しの「美」も絵画のなかでは生き続けているのではないでしょうか。
「絵画」の神秘と「人間」のなかにある「宇宙」
歴代の画家たちは、数えきれないほどの絵画を生み出してきました。
星の数ほどの作品が世界中にあるのは、世の中すべての人達に必要な「美」が与えられているのです。
みんな同じ感性ではないし、その時その時に必要な「美」を感じて共感できるよう、平等に与えられているということなんです。
人間の中にある「美」の宇宙は、絵画を通して見ることもできます。
自分の美的感覚を、自然のなかや生活のなかでみがけば、見えないものも見えてきます。
失われつつある「美」と新たに生まれる「美」
世界中どこもそうですが、自然破壊が進み汚染も広がり、かつての美しい風景は、失われています。
ルーベンスが描いたような広大で美しい風景は、今ではどこに行っても見ることはできません。
日本の画家も絵を描く場所がないことで、風景画家も減っていき海外で描いている人も多いようです。
それに引き換え新たな「美」も増えています。
20世紀のモダニズムの「美」は、今の社会に具現化され、現在の生活の一部に溶け込んでいます。
そのグラフィックな「美」は科学と融合し、新しい文化を生むことになるでしょう。
現代人は自然と引き換えに、科学の力を手に入れたのです。
「死」と「美」は表裏一体
19世紀のロマン派や、ラファエル前派の画家たちは、中世の時代の「死と美」についてたくさんの絵を描いています。
古代の人は若者の「死」について美徳を感じていたと言われています。
シェークスピアの「ロミオとジュリエット」やダンテの「神曲」などの物語は、ロマン派以後19世紀の画家たちの絵の主題によく使われていました。
オフィーリアは特に人気があり、画家たちがよく描いています。
その中には若者や愛する人の「死」について美しく、感動的なストーリーが描かれており当時の人々の心を奪っていたようです。
まさに詩の世界でした。
その「美」に憧れて、若者たちが命を絶つという社会現象もあったようです。
美しい「死」は、当時の人の憧れであったのでしょうか。
日本では、美しい甲冑に身を包んだ侍の「死」の美徳があるように、「死」には人間のなかで「美」として受け止めていた部分があったということになります。
ヨーロッパの騎士道精神にも、よく似た美徳が潜んでいます。
西洋の宗教画や神話画にもこのように、「死」の裏に「美」が潜んでいます。
ようするに、人間は美しい「死」を理想としているのです。
「死」と「美」は表裏一体で、古代から人と切り離せないものでした。
再び「美」について考える時代が来ている
歴史に残る絵画とは、どのような作品でしょうか。
それはまったく違う考え方の時代がきても、引き続き人々の芸術として機能し、あらゆる感情に対応できる作品ではないかと思います。
絵画や芸術は人工的なものではなく、あらゆる人間の感情に対応できる人間的なものなのです。
自分と異なる考え方を認め、違う環境を理解し、文化的価値を共有する新しい時代がもう来ています。
このように、文化が平行線をたどることになれば、社会には個性的で創造的な新たな「美」が必用になってきます。
「美」の感性をみがけば、見えないものも見えてきて、あなたにも自分だけの特別な「美」が生まれることになるでしょう。
自分の感性を大切にしてください。
またその「美」が新たな21世紀の芸術になるかもしれません。
まとめ
「美」とは何か、「美」の中にはどんなものが見えるのか?
と、いろいろ考えてみましたが、人間の中の「美」の宇宙は、永遠であり理想でもあると思えます。
日常生活でも人によって「美」の感性は違い、いつも何らかの「美」を感じて生きていると思いますが、これからの絵画芸術には、現在の環境の中で新たな世紀を表現できる「美」の感性を求め始めています。
「美」の感性をみがくことで、新しく、また古代の記憶を呼び覚ますような「美」の表現に、世界中が期待しているのです!