「絵画」は「美」の「宇宙」とつながっている

21世紀、世の中最も必要とされているのは「美」なのではないかと僕は思います。

「絵画」は人類のイマジネーションが生んだ、自然と人間の「宇宙」を表したものです。

今、洋の東西が分かれる前の、価値観の多くが見えなくなってしまいましたが、人々は「美」を通して本来知っていた大切なことを、再び思い起こすことができると思います。

人類が描いてきた「絵画」を通しての「美」の「宇宙」について見ていきましょう。

 

「絵画」と「人類」の関係の起源

洞窟に描かれた人類初の絵画

人類が絵を描き出したのは、いまから3万年前だと言われています。

現在西ヨーロッパには280もの洞窟壁画があり、比較的新しい洞窟壁画でも2万年前にできたという、スペインのラスコーの洞窟壁画と、1万5000年前のアルタミラ洞窟壁画などがあります。

実際は、壁だはなく天井に描かれているのですが、なかには20頭もの牛、鹿、馬が20頭以上も一つの部屋にぎっしり描かれています。

これは今「氷河期のシスティーナ礼拝堂」と呼ばれています。

 

洞窟に示された「美」

描かた動物たちは、これまで狩りで仕留めた食料としていた動物だと考えられてきました。

以前は、狩りの成功を祈って描かれたと思われていましたが、最近の研究結果ではこの絵を描いた時代は、ちょうど氷河期にあたり、その動物たちを食べていなかったことが判明しました。

発掘した動物の骨を調査した結果、トナカイが主食であり、学者たちは唖然としたと言います。

彼らは独自の月や星とのつながりを持ち、牛や馬や鹿を主役とした神話を数万年前から語り継いでいたかもしれません。

 

「絵画を描く」という行為

絵を描くという行為を通して未知との交信をして、神話の世界を確立することで天体を支配する目に見えない世界とのコミュニケーションと、夢やロマンを生むものだったと思われます。

また、古代の特徴たして、角のある牛や鹿はシャーマンの占いや呪術としても利用されています。

角の形が月に似ていることで、月に対する信仰と結びついているのではないかと思われています。

これを「ムーンカルト」と言います。

月に対する信仰はメソポタミアや古代エジプトにもありました。

洞窟壁画においての描くという行為は、その問いかけを通して、神と美的感動を同じものと感じていたのです。

 

「絵画」と「自然」のつながり

「自然の顔料」と「自然光」で描かれた「絵画」

旧石器時代に描かれた洞窟壁画は、馬のたてがみや、動物の口元は、現代のエアースプレーで絵の具を吹き付けて描いた霧のような描き方です。

土と灰を動物油脂で溶いたものを、口に含んで吹き付けたのかもしれません。

そうすることで、動物たちはまるで動いているようにも見え、口元の白い息が氷河期の寒い時代を生きているかのように感じます。

洞窟の入り口に近い絵はグラデーションによる、色彩の変化を見ることができます。

これは、洞窟内まで太陽に光が入ってきていた証拠になります。

奥に入るほど自然光が入りにくくなり、絵は単調で、色の幅はなく平板になっていくからです。

暗くなると色彩を見分けることができなかったのです。

 

人間の楽しみのための「絵画」

初めは暗闇の中での神とお交信で、呪術的な世界で神の領域でした。

ある人が、たまたま壁画を昼に見てしまい、直観的に色彩豊かな土を塗ってみるとリアルになっていったので、だんだん楽しくなりもっとそっくりに描き込んだのだと思います。

ここで初めて「描く」という行為が誕生し、「見るための絵」を描くきっかけが生まれた瞬間でした。

この「似せる喜び」はアリストテレスによれば、人間の本能だと語っています。

古代ギリシャのホメロスは、「芸術とはそれを人に知らせる行為のこと」というようなことを教えています。

以前の暗闇の中の神秘的目的が、明るい光の下の現実的魅力タブロー(絵画作品)としての段階へ移っていきました。

 

「神の領域」と「美」

光の誘惑がきっかけで、明るいところに出てしまった「美」が神の領域から人間の領域へ移って、神との交信という意味は弱まり、人間としての誕生を意味した歴史的瞬間でした。

そこから、絵は外の崖や岩壁に描かれるようになりますが、屋根がないため絵は時と共に消えてなくなってしまいました。

残ったものが、条件の良い洞窟内に描かれたものだけだったのです。

その記憶は、古代の建造物の神聖な壁画の動物たちの姿や、神々や神獣の姿として、さらに中世からルネサンス期の装飾壁画として受け継がれていきました。

壁画が神との対話の空間に必ず必要なのは、1万5000年前の洞窟壁画からの遠い記憶だったのです。

 

「人間」の心は無限の「宇宙」

「水墨画」の誕生

中国の絵はすべて水墨画だったと思われているかもしれませんが、10世紀前後に荊浩(けいこう)によって水墨画法というものが成立しています。

それまでは、色彩がほどこされていました。

山水画はとても古くからあり、四世紀から五世紀に成立しています。

しかしそれは写実的なものではなく、風水や神仙思想と結びついていました。

それ以前の宗教画や人物画の背景が独立して1つのテーマとなったのですが、風景画の確立はそれでもヨーロッパより1000年も早かったのです。

その山水画は何を描いていたかというと、高い教養人が隠居すべき名山を描く、という理念が六朝時代(三世紀~六世紀)には確立していました。

なぜこの時代に色彩が省かれてしまったのか、ひとつには人の手に及ばない自然現象をとりいれた「宇宙観」に到達し、また神の領域に触れていくような墨の存在を通して、ユートピア的なテーマがさらに絞りこまれていくことにより、明確に神秘的なメッセージ色が強くなったことが理由でしょう。

墨自体の表現の可能性に人々が気づいたのだと思われます。

 

「墨」生み出す幻想的「宇宙」

古代墨はかつて、その流れ行くさまを見て何かを占う役割を持っていました。

古代人は墨を用いて神との対話をしていた、それが水墨画にも受け継がれていたのだと思います。

北宋時代、水墨画においては、「美」はほとんど宗教に近いところまで高められていました。

山水画は、「宇宙」の真理である神の肖像で、広大な多様性と永遠の時を持つ人類史上最高のレベルに達した宋の時代の絵画は、まさに神を描いていたのだといえます。

墨のみで描いた、大気、空気、風はこの上ない理想郷と、ユートピアの表現に成功して北宋時代究極の山水画が完成しました。

ここではもう色彩は必要なく、人間のイマジネーションが想像的な色彩を作り出すことになります。

画家の認識による記録を、墨を通して人に伝える行為があり、その中で「幽玄」や「叙情」が人の遠い記憶とつながるのだと思います。

 

「モナ・リザ」で見えてくる「美の宇宙」

この大気、空気、風に「微笑み」を加えた大画家がいます。

イタリアルネサスが生んだ大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチです。

レオナルドも山水画と同じような風景を「モナ・リザ」の背景に描き込んでいます。

この風景は「天地創造」、「世界の終わり」の風景といわれています。

人類がみな同じDNAの記憶を持っていることの証明とも考えられます。

人間のイマジネーションは、時間も空間も民族も超えて絵画による美を生み出すということでしょう。

洋の東西が分かれる以前の記憶がよみがえり、今の我々は世界の芸術を理解できるレベルに到達しています。

昔は、日本人にしか理解できないよか、ヨーロッパ人にしかわからないなど、よく耳にした言葉ですが・・・・

みんなが「モナ・リザ」の微笑みを感じ、みんなが荊浩の絵に幽玄を感じることができる生命記憶を持っているのです。

 

まとめ

人類が絵を描いて神(宇宙)との交信をしていた時代から、「美」に気づき「絵画」が独立して野外に出て、文明が栄えてきたお話をしてみました。

古代人が絵を通して、神と交信することで生まれた「美の宇宙」は、我々のDNAのなかで今も息づいています。

21世紀は、この「美」の世界が蘇り、世界の多くの人達の美しい「絵画」を見ることができる時代になって欲しいと願っています。

もう紛争の時代ではなく、「美」を通して共存の世界を、築いて行かなければならないと強く感じました。

・自分用の制作マニュアルを持とう!

・今、絵画に求められているものとは・・・

・「聖母マリア」の処女受胎思想

・最初の一歩から始まるアートの世界

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ABOUTこの記事をかいた人

画家活動をしています。西洋絵画を専門としていますが、東洋美術や歴史、文化が大好きです。 現在は、独学で絵を学ぶ人と、絵画コレクター、絵画と芸術を愛する人のためのブログを書いています。 頑張ってブログ更新していますので、「友達はスフィンクス」をよろしくお願いします。