絵を描くいていると、いろんな病気を抱えている人に出会います。
心臓が生まれつき悪い人、足が不自由な人、片手がない人、そして片目が見えない人・・・
僕の周りには病気でハンデがあっても、好きな絵を描き続けていました。
今回はそのなかの一人の女性をご紹介します。
ハンデがある画学生
あれは僕が二十歳の時、美術研究所でデッサンを学んでいたころでした。
僕より半年以上後に入学してきた6歳年上のMさんという女性がいました。
Mさんの性格はとても明るくてユーモアがあり、いつも周りを気づかう人でした。
休憩時間やお昼ご飯の時間に彼女といると、いつも笑いがたえませんでした。
でもそんな元気で明るいMさんでしたが、実は脳の一部に障害を持っていたのです。
後遺症のそのため顔の左側の神経がなくなり、片目が見えなくなってしまいました。

共に学んだ日々
Mさんの生きがいは、子供のころから描いていた絵画だったのです。
入院していても、家にいても絵を描いてきたのです。
左目が見えなくなっても、描く事をあきらめるどころか研究所でデッサンを学び研究し、さらに腕を磨きました。
講師の先生に聞いた話ですが片目で描くと遠近感がとらえにくいばかりか、見る力が強くなりすぐに疲れてしまうといっおっしゃっていました。

そんなMさんと僕はよく一緒に美術展やギャラリーを見に行ったり、スケッチをしたり人や美術に対する意識の問題などを話し合ったりしてよく行動を共にしていました。
障害を持つ彼女から多くを学んだと思います。
僕も今闘病生活をしているので、どれだけ大変なことかいまさらながら理解することになりました。
実際自分がそのような病気や障害を持たない限りなかなか理解できないものなのです。
僕も理解していたつもりでしたが・・・

いつもデッサンをしているMさんを見ていたのですが、普通6日で描くものを10~12日かかっていました。
片目だとやはり人の二倍努力が必要だったのです。
デッサンのできもそれほどいいとは言えない
コンクールの作品の点数も悪かったとおもいます。
そんなある日僕は神戸に住むMさんの家におじゃますることになり、そこで見たのはMさんがこれまで描いて来た油絵でした。
ほとんどが静物画と風景画で色調は綺麗なパステルカラーの作品が並んでたのです。
作品を見た僕は驚きました。

研究所で描くデッサンと違い、がっちり描かれた陶器や果物は僕が描くものよりはるかに素晴らしく美しかったのです。
このころ僕はまだ色彩どころか油絵もまともに描けない初心者で、彼女はベテランの画家のように感じたことを覚えています。
この時僕はMさんが基礎の木炭デッサンが必要なのか疑問を感じたほどです。
阪神淡路大震災での奇跡
僕がたぶん22月歳の時だったとおもいます。【1995年1月17日】
朝に大きな地震があり(震度7強)、テレビをつけると神戸の街がとんでもないことになっていたのです。
街は全壊しいたるところで火災があり、死者も増え続けていたのです。
神戸出身の研究生の安否情報もなくみんな心配していました。
あれから数週間後にMさんと連絡がとれて無事を確認できたのですが、神戸市長田区の被害は大きくMさんの家もそこにありました。
長田の街は全壊し焼け野原のようになっていたのですが、Mさんの家だけが無傷でポツンと一軒だけ無事だったのです!!!!
新築の家ではなく、古いMさんの家だけです。まさに奇跡としか言いようがありません。
(後に、市の検査の結果、危険ということで取り壊されました)
Mさんの家族は、お母さんとお姉さん、Mさんの三人暮らしでした。
Mさん家族は亡くなられたお父さんが守ってくれたと話してしました。(僕も写真を見せてもらいました)

時は流れ再び・・
あれから10年以上が過ぎたある時、僕のもとに一枚の案内状が届きました。
それはMさんからの個展のお知らせだったのです。
さっそく僕は個展会場にいきました。

そこには久しぶりに見るMさんの姿があったのです。
もう結婚もしていて、相変わらず明るく元気な様子で僕を迎えてくれました。

作品を見せてもらうと、以前より自由でおもしろい絵がたくさんあり、昔の真面目な固さと素人臭さがなくなってさらにパステルカラーの色彩が印象的でした。

あれからどうしていたの?と11年前のことをたずねてみると、Mさんは研究所での限界を感じ、辞めて自宅近くの教室に通うことにしたと言っていました。
そこで出会った先生が自分にあう教え方をしてくれたので、たいへんいい経験をして絵に対する考えが方が変わったと言っていました。

その後知り合いの紹介でフランスの田舎町でを半年ほどホームステイをしながら、街をスケッチしたり作品を描いたりしてリラックスした日々を過ごして
自分の画風を確立したようです。

ここから彼女は昔とだいぶ変わったと僕は思いました。
僕の知っているMさんだと一人で海外なんてとうてい考えられません。
昔はそれほど行動的でなく、結構引っ込み思案なところがあったからです。

その後神戸で個展をしているとき、たまたまたずねて来た韓国の画廊オーナーがMさんの作品を見て是非韓国の画廊で個展をしてほしいと韓国に招待されたのです。

韓国の個展は大成功して毎年個展をするようになり、プサンで開催される国際アート展に招待されるほどになっていました。
今ではプロの画家です。

たくさんのコレクターのファンもいるようです。
最近の作品は形が少しずつなくなり、抽象化してきて色彩構成が面白くなってきていました。

何か編み物のような細かい色が重なって一つの色と形になっています。
Mさんのこれからの目標は、フランスとアメリカで個展をすることだそうです。
現在も病院通いをしていますが、片目でもあきらめることなく夢に向かって歩み続けています。

病気があっても、その人のペースで行けば、同じことだということです。
ひじょうに落ち着いて描くので、確実に作品ができあがるそうです。
僕も見習わなければ・・・・
まとめ
病気を持っていても、自分の夢に向かって休むことなく絵を描いて、画家になったMさんは本当に素晴らしいと感じました。
Mさんは、明るくふるまっていましたが、実際はそうでもなく人一倍みんなに気を使っていたのだと思います。
Mさんを見てきて感じたことは、どんな人でも諦めずに自分を信じて、前に少しずつ進む姿勢が大切だと感じました。
実際、普通1週間で仕上げるデッサンを、Mさんは2週間以上かかって仕上げていました。
絵が下手だからとか、そのような普通の悩み以上の悩みを持っていても、自分の力を信じて生きていくことのが重要であることを、僕は学びました。
どんなに苦しくても、まだまだ諦めない強い心を持って、我々も描いていきましょう!!